17:自分の真実について
かつてスピリット・ウェイカーは私にこう語った。
真実は時間経過によって変化することがない。それはひとつしかなく、誰にとっても同じものだ。そして、それは明確であり、決して曖昧なものではない。その真実はあなたの中に存在している。だが、その真実の存在を知る人は少ない。
なぜなら、あなたはその真実を無価値で意味のないものとして無視し排除してきたからだ。そして、真実でないのもに価値を見出し、意味があるものとして重要視してきた。
ただ、真実でないものは不要というわけではない。それはあなたにとって大切なことだ。それらを無価値で意味のないものとして捨て去る必要はない。真実でないものを生きていく上で無視することなどできない。真実ではないものとは、生活環境、健康状態、思考傾向、経済状況、仕事内容、人間関係などだ。これらは真実ではないが、疎かにはできない自分にとって大切なことだ。だから、あなたが人生を賭けて、それらの質を高めるために努力していくことは間違いではない。
だが、あなたはその真実でないものばかりに気を向けているため、何が真実なのか探ることを忘れてしまう。真実でないものは変化していく。さらに個人によってその価値が変わったり、多様な価値観を生み出したりする。そして、それらは良い状態と悪い状態が交互に起こり続け、それをあなたは制御することができない。それらが変化する度に、あなたはそこで幸福と絶望を感じ続けるのだ。
もし、あなたに絶望が起こったなら、それを幸福に転換させようとするだろう。あなたは幸福で在り続けることが自分にとって価値あることだと思っているため、その実現のために自分の能力と時間を人生に投入する。だが、その思いが成就することはない。なぜなら、すべては変化していくからだ。
あなたはどう頑張っても、物事が変化していく様を為す術もなく見つめることしかできない。幸福な状態は目の前で過ぎ去っていき、あなたが努力して築いてきた数々の物事に裏切られ続ける。何が間違っていたのだろうか。何も間違っていないはずだった。あなたはみんなが大切だと思うことに取り組んできたのだ。
あなたは世界での幸福や良い状況に固執するあまり、何が真実かに目を向けることを忘れてきた。そのことに気づいた時、あなたは藁をもすがる気持ちで瞑想して真実に向き合う。そして、自分自身の中に真実を見つける。
真実はたったひとつであり、変化することなく、いつもそこにはっきりと存在している。それは自分で確認して、明らかなことだと分かる。だが、あなたはそう知ったとしても、それがいったい何になるのか疑問に思う。それがあなたを幸福にするわけでも、良い状態にするわけでもない。
あなたは自分が幸福で良い状態で在り続けることを望んでいるのだ。真実はそんなあなたの望みをまるで無視している。あなたはこの真実に価値も意味も見い出せない。そのため、ほとんどの場合、あなたはこの真実を捨てて、再び自分にとって大切なものを世界に探し求めるようになる。
そして、世界が与えてくれる幸福や良い状態こそが真実なのだと思い直す。あなたはその変化するものを無理やり変化しないように押しとどめようとする。そして、際限なく多様化する物事をなだめながら、それらを宝物のように懐に抱いて、自分自身の真実にしようとするのだ。
だが、それらが自分の真実になることはない。あなたはそう分かっていても、自分で作り上げた不確かなものを真実にすり替えようとする。あなたは世界の変化する流れと幸福を固定化しようとすることの間で苦しむ。その苦しみから解放されるためには、世界の変化する物事に惑わされることなく、自分の真実を真実として認めて、それと完全にひとつになる必要がある。
それと完全にひとつになることで、あなた自身が否定出来ない真実となり、はじめてあなたは真実を核心として生きる存在になる。それは価値があるとか意味があるとかいう今までのあなたの判断を超えている。真実はその判断では推し量ることなどできない。真実は真実であり、それ以外の何ものでもない。あなたは真実に価値や意味を求める。真実にそんなものは備わっていない。もし、そんなものが備わっているなら、それは真実ではない。
このことをあなたが理解して、真実に価値や意味を求めず、真実をただ真実として受け入れるとき、あなたは真実自身になる。あなたが真実になるとき、世界も真実になる。価値も意味も真実になり、多様化するすべてが真実になる。幸福も絶望も真実になり、あらゆる変化が真実になる。
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