瞑想の声は私の終わりへと導く(18)精神的成熟

瞑想が示す道には終りがある。

個人を超えて非世界の存在になることが最終地点だ。

それが悟りであり、意識の覚醒といわれていることだ。

それは決して妄想や非現実的なファンタジーではない。

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この世界よりも現実であり、誰でもそれを認めることができる。

ただ、個人がそうなることに価値を見出し、その道を歩もうとするかが問題なだけだ。

そのための時間は輪廻転生によって確保されている。

何度でも人間として生まれて、その道の理解を深めることができる。

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未熟な精神では、師の言葉や本に書かれていることを信じることにとどまるだろう。

それは決して間違ったことではないが、それだけでは個人を超えることができない。

あくまでも個人としての価値として行われるだろう。

それが世界での出来事であるなら、そこで悟りが完成されることはない。

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完成されない悟りで諦めるか、不完全な悟りを完全だと思い込むか。

ここから新たな精神の成熟がはじまる。

理解しなければいけないことは、個人のことであり世界のことだ。

いままでの概念を自ら壊していかなければならない。

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こうして破壊しながら道を進むことはとても勇気がいることだ。

人生をかけてつくりあげた城を破壊して瓦礫の山にするのだ。

常識的な思考の持ち主なら、かなり抵抗のあることになる。

そこにはある程度の狂気が求められる。

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それは理性的な狂気というものだろうか。

その狂気は感情や本能に赴くままの動物的なそれではない。

それを破壊するには理由があることを知っている。

その先に道が示されていると分かっている。

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もちろん、その狂気は多くの間違いも思い違いもするだろう。

そのたびに道を引き返して、正しく示された道を探す。

それは個人に何かのメリットをもたらすわけでもなく、世界を良くするわけでもない。

はたから見れば、何をしようとしているのか理解に悩むことになる。

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そのような中で個人は精神的な成熟を果たしていく。

精神的な成熟によって、個人を超えて、世界を超えて、存在となり非世界の住人になる。

そこが人の最終的な場所となり、そうなれば進むべき道はもうない。

完全な悟りに至れば、輪廻転生する必要もなくなる。

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だが私は存在として世界のすべてになっているため、そこから消えるわけではない。

存在としての役目がそこにはある。

輪廻転生はしないが、すべての時間のすべての人間の目となっている。

その目を通して、この瞑想の道を示していくのだ。

空風瞑想

空風瞑想は忘れてしまった本当の自分を取り戻す瞑想法です。瞑想の中で今まで気づかなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけていきます。そこを自分の拠り所にするとき、新しい人生が始まっていきます。