瞑想の声は私の終わりへと導く(16)道を行く人

その順番をどう組み立て直していくのかは後世の人間の仕事だ。

そのためには瞑想の道が必ず必要になる。

そうでなければ、それはただの空想にしかならない。

空想ではこの世界の現実に太刀打ちすることができない。

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存在は世界の現実以上に現実なのだ。

瞑想はその現実を明らかにしていく道だ。

この世界の現実だけが現実だとする概念に縛られていては、その道は見えてこない。

だが、その道は常に示されている。

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その道を行くように足元が光り輝いている。

そこを行くための障害は個人の固定概念だけだ。

そこを乗り越えるには人類の精神的な成熟に因るところが大きい。

この道を歩むことは理屈ではないのだ。

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これは世界の流れに任せるしかないところがある。

それを早めることも遅くすることも人類にはできない。

その道を行く人は行くだろうし、行かない人は頑として行かないだろう。

それが善いとか悪いとかいうわけではない。

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ただ、その道が見えていてそちらに足が向いているのであれば、そこを行くべきだ。

そう感じる人は精神的に成熟しているのだ。

もちろん、私がそう言わなくても、その人は瞑想の道を行くだろう。

目覚めについての師が辿った古道はまだはっきりとそこに残っている。

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その古道も簡単な道のりではない。

そこを行くのをやめたくなるし、途中で終わりにしたくなる。

途方もなく先へと道は続いていて、ついていけないと思うこともある。

個人やこの世界のことも無視できない。

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非世界への扉を閉じることは簡単だ。

この世界の固定概念でそこを封印すればいい。

この世界で非世界の住人になることは異端なのだ。

喜ばしく迎えられることはほとんどない。

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その道を行くには強い意思が必要になる。

だが、その意志を裏付けてくれるものは少ない。

だからこそ、精神的な成熟が必要になる。

そして精神的に成熟した人は道を素早く見つける必要がある。

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正しい道を行けば、その到達は早いだろう。

ただし、どんな人でも目覚めのための順序を守る必要がある。

そうすれば、理解に時間がかかったり苦しむことはない。

もちろん、理解に時間をかけ苦しむことさえ間違いではない。

空風瞑想

空風瞑想は忘れてしまった本当の自分を取り戻す瞑想法です。瞑想の中で今まで気づかなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけていきます。そこを自分の拠り所にするとき、新しい人生が始まっていきます。