06:美しさの深みについて
かつてスピリット・ウェイカーは私にこう語った。
あなたは世界にあるものを美しいと感じることができる。美しいものを見れば、心が癒やされる。それが花ならば、あなたは花の色や輪郭に美しさを感じる。その生命の神秘的な力や造形の素晴らしさに心惹かれるのだ。
その美しさは一体どこから来るのだろうか。世界には美しいものがたくさんある。その美しい存在は何かを素材にして生み出されている。花であれば、それは大地かもしれないし、風かもしれないし、光かもしれない。
その大地や風や光はどこから来るのだろうか。それらの根源を辿り続ければ、神としか言いようのないところに行き着く。美しさの根源はまさに神なのだ。
美しさの根源が神だとしても、実際にあなたが見ているものは花の色や輪郭といった造形だ。あなたはその造形の素晴らしさに神が宿っていると感じるかもしれない。だが、あなたがそこに直接神を見ることはない。造形を見ても、そこに神の姿を目にすることはないのだ。
美しさの根源である神とはどんな存在なのだろうか。それは純粋な存在そのものだ。その存在があって、はじめて花はそこに存在できる。だが、あなたは花の色や輪郭を認めても、その存在を認めることはない。
そこに花が存在していることは当たり前なので、あなたはそのことを無視してしまう。その無視している存在がなければ、美しい花は存在できないのにもかかわらずだ。
あなたは表面的なことしか認めることができない。だから、物事を表面的な美しさや醜さで評価してしまう。あなたが何をどう感じようとも、美しさの根源である神は存在としてすべてのものに宿っている。
あなた自身もそうだ。あなたも存在しているので神が宿っている。だが、あなたはそれを無視している。それを無視して、能力や姿形などで自分を評価している。
能力や姿形は大切なことだ。だが、それらは自分の表面的なことでしかない。それが自分のすべてではないのだ。すべてでないどころか、それは自分自身のほんの僅かでしかない。
あなたは自分自身の根源に触れることで、美しさの根源を知ることができる。美しさを支えているものが存在であり、その存在は自分なのだと知る。そう知ったなら、あなたはすべてに存在を見ることができる。美しさの中に存在を感じる。それは自分自身とつながっている美しさだ。
あなたが自分自身の根源となるとき、根源を通じてすべてが自分自身と無関係ではなくなる。その関係は美しい。すべてが神でできているのだ。それは表面的な目に見える美しさを超えて、もっと深いところから溢れてくる美しさだ。
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