05:神の愛について
かつてスピリット・ウェイカーは私にこう語った。
神は喜びをもたらす存在ではない。神は苦難の人生から人を救うこともない。あなたが神にそれを期待しているなら、期待はずれになるだろう。神は何もしないのだ。
神は何もしないからこそ神でいられる。もし、神が人を救ったり、罰したりするなら、それは神ではなくなる。沈黙と不動と存在こそが神だ。
だが、神が何もしないからといって、神はあなたを冷たく見放しているわけではない。神は見放しているどころか、黙ってあなたを支えている。あなたがここで生きていけるように、宇宙のすべてに存在を与えているのだ。
神はいつでもすぐそばにいる。あなたには喜びや悲しみがあり、その方が神よりも身近に感じるかもしれない。だが、その喜びや悲しみも神なのだ。それを感じているあなたも神であり、そういったすべての人生の舞台が神でできている。
そんな神を冷たい存在だと言えるだろうか。大事な時に救いの手を差し伸べなかったからといって、神を責めることができるだろうか。神がいなくても別に構わないと言えるだろうか。
あなたが神に対して何と思おうと、神はそこに存在してあなたを支えている。神を信じないと宣言している人でさえ、神は黙って神を信じる人と同様にその人を支える。
これが神の愛だ。それは人間の個人的な感情に左右される愛とは違う。あなたは愛を大切なことだと思っている。それは大切なことだが、それを個人が扱うことでとても窮屈にしてしまっている。
あなたは誰かを愛するが、それには条件がつく。あなたは条件に合う人だけを愛する。その愛は神から比べれば、かなり偏った愛だ。だが、あなたがすべての人を愛すると宣言しても、それはとても無理な話だ。あなたはすべての人を支えてなどいけない。
あなたが本当に愛を大事にしたいのなら、人間から神へと変容する必要がある。神になることで神の愛を理解することができる。神はいつえもあなたのすぐそばにいる。その神を見つけてひとつになるのだ。
あなたが神とひとつになるとき、それは人間という個人を超えていく。もはや、それは生命体でもなければ魂でもない。それは誰も気が付かない無色透明な存在だ。
神は万能でもなければ、高貴でもない。例えようがないほど何でもないのだ。それでいて、すべてに行き渡っている。すべてがこの無色透明の神でできている。それがあなたの中心であり素材となっている存在だ。
あなたがこの神とひとつになるとき、存在という共通の素材を通してすべてとつながる。このつながりが愛だ。あなたは愛であっても何もしない。何もしないからすべてを愛することができる。
あなたは神とひとつになることを望まなかもしれない。だが、あなたが求めるものはすべて神だ。それがどんな姿形をしていてもすべて神でできているのだ。
だから、あなたは神の愛から逃れることなどできない。いつかあなたはこの無色透明な存在である神とひとつだということを理解することになるだろう。
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