瞑想の声は私の終わりへと導く(6)メリット
瞑想をするとストレスが軽減され、その耐性がつく。
願望が叶いやすくなり、願わずとも叶うことさえある。
心が穏やかになり、感情的になることが少なくなる。
気づきが多くなり、創造的な発想が自然に湧いてくる。
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瞑想には様々なメリットがあり、その科学的研究も行われている。
私は瞑想で実際に得られるメリットを否定するつもりはない。
それはそれでいいことが起こったのだ。
だが、後に分かることは、瞑想の潜在力とはそれを遥かに凌駕するものだということだ。
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瞑想をしていても、依然としてこの世界は不安定だ。
世界では心折れる出来事があり、小さな願望さえ叶わないこともある。
感情的になり、それを理性で抑えられないこともある。
それは瞑想が上手く機能しなかったからだろうか。
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そう考えたのなら、その時点で私は瞑想をやめてしまっただろう。
ストレスを軽減し、願望を叶える方法なら他にもあるのだ。
それは瞑想よりも効果的に機能するだろう。
そうであるなら、瞑想をする理由がなくなる。
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瞑想しても期待したメリットが得られないなら、不信感を持つことになる。
そのメリットに惹かれて瞑想をはじめて、この不信感とともに瞑想をやめる。
それでは何のために瞑想をすればいいのだろうか。
それは本当の自分を知るためだ。
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だが、本当の自分を知っても何のメリットもない。
何のメリットもないなら、そのために瞑想をする意味が持てない。
それは瞑想をする動機としてはとても弱いものになる。
そのとき、本当の自分を知りたいと興味を持っても、いずれ瞑想から離れていく。
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やめてはいけない、そんな声を聞くのはこのときだ。
ただ、その声に瞑想を続けさせる強い説得力はない。
だから、ほとんどの場合、無視される。
純粋に瞑想の道に興味がある人だけがその声に従うだろう。
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瞑想の持っている潜在力は計り知れないものがある。
個人に与えられるものなどスケールが小さすぎるのだ。
それはあまりにも小さすぎて、そればかりに目を向けていると、瞑想の道の先が見えなくなる。
瞑想のメリットなど無視する瞑想者だけがそれを見ることになる。
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メリット求めて瞑想を始めても何の問題もない。
だが、瞑想の道はもっと先を示している。
そこに歩みを進めるためには、どこかの時点でその動機を捨てる必要がある。
それができなければ、メリットの有る無しばかりに気を取られて前に進めない。
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本当の自分を知ること、そこに瞑想の意味を見いだせるかどうか。
これは飛躍しすぎた瞑想の目的だろうか。
瞑想をはじめた人にとって、この目的は考えもしなかったことかもしれない。
戸惑うことかもしれないが、瞑想の道はそこだけを示している。
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