02:人生の探しものについて
かつてスピリット・ウェイカーは私にこう語った。
あなたは何でも自分の理解できる範囲でしか知ろうとしない。自分の理解できる範囲の外のことは、無関心であるか、危険なこととして排除する。そうして自分の安全を保っている。
ただ、安全を保っているからといって、それで満足しているわけではない。あなたはもっと自分を満足させてくれるものを世界中で探している。
世界は理解しやすいところだ。たくさんの前例があり、それを学べば人生で成功を実現することができる。あなたが成功したとき、あなたはその結果に満足する。
でも、あなたはそのひとつの満足で満たされるわけではない。ひとつ満足すれば、もっとたくさんの満足につなげたいと思う。そのため、満足してもさらなる満足を世界に求めていく。
それでもあなたは自分の理解できる範囲で満足するもの探していく。それは身体で感じられるものや心で考えられるものだ。この身体と心を使って、世界から自分のものにできる何かを手に入れる。それ以外のものには目もくれない。
それはあなただけではない。ほとんどの人がそうしている。でも、そのことは悪いことではない。人として当たり前のことだ。そうすることは疎かにするべきことでもない。
でも、あなたは世界しか見ていない。世界のことはよく知っているし、よく知ろうとする。世界はそれだけではない。あなたの見ていないところにも世界がある。それが自分自身だ。
あなたは自分自身について深く考えたことがない。自分とはこの身体と心だという結論が出ていると思っている。そのため、あなたの使命はこの世界で身体を健やかにすることや心の安心を見つけることだと思っている。
あなたはその自分を健全な状態に保ち、さらに良くなるための物事を世界中で探し回っている。そうすることが自分の大切な仕事だと思っている。
だが、身体と心は自分自身ではない。あなたが世界で探している自分は、偽りの自分という壁を上塗りしているだけだ。真実の自分は誰なのかというところで、あなたが思い違いをしているため、いつまでも自分自身に目を向けることができない。そのため、あなたは世界からどれだけのものを得ても満足することはない。
あなたが一番目に知るべきことは世界のことではなく自分自身のことだ。世界の中で探しものをする前に、瞑想によってあなたを身体と心という囲いから自分を解放し、その奥に本当の自分自身がいることを知ることだ。
あなたは自分が満足できないのは世界が不完全だからだと思ってきた。そのため、世界の不完全さを正せば、満足できると思っている。
でも、あなたは世界を完全なものにしようとしている自分自身を知らない。そのことが不完全さを生んでいるのだ。本当の自分自身を知らなければ、世界が完全になることはない。
あなたが探しているものは何なのだろうか。その答えを手にするために、あなたは身体や心が本当に自分自身なのかを疑てみてはどうか。そしていままで見ようとしてこなかった自分自身に目を向けるのだ。そうすることが本当に探しているものを見つける一歩になる。
0コメント