瞑想の声は私の終わりへと導く(5)超自然的能力
通常の人間の力を超えた能力を求める人がいる。
かつて私もその一人だった。
瞑想はその超自然的能力を得るための方法になり得る。
実際に瞑想でその能力を獲得することもある。
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高次の存在の姿を見たり声を聞くことができる。
未来に何が起こるか知ることができる。
超自然的なエネルギーを操り人を癒やすことができる。
それは決して悪いことではなく、むしろ誰かの助けになるものだ。
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だが、それはエゴを強めることにもなる。
私がやった、そんな思いはエゴの存在を強固にしていくのだ。
そうなったとしても、それが悪いことだとは思えないだろう。
瞑想をして光り輝くエゴになることは、はじめから望んでいたことなのだ。
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ただ、そんな能力を得て分かることがある。
それは明らかに自分の能力ではないということだ。
そう分かったとき、エゴは失望する。
それでも、それが誰かに知られるわけではない。
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そのまま、まるで自分の能力であるかのように振る舞うこともできる。
実際にそうしていたほうが都合がいいので、そうしている。
だが、エゴには何の超自然的な力もないのだ。
これは自分を偽っていることになる。
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超自然的な力で誰かを救うことは何の問題もない。
それを自分がやったのだと思うことが自分に問題として降り掛かってくる。
偽りというものは、どこかに歪みをもたらすものだ。
それはエゴに歪みをもたらしていく。
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その歪みは自分が誰なのか分からなくなるということだ。
超自然的な能力者はそれが自分だと思いたい。
だが、それは偽りだと自分で知っている。
このジレンマがエゴのバランスを崩していく。
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それでいいのか、という声が聞こえるのはこのときだ。
その声が聞こえたなら、瞑想の目的を見直さなければならない。
その声はエゴを非難しているのではない。
偽りなら無理していることもないとエゴを救っているのだ。
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