瞑想の声は私の終わりへと導く(1)空の体験
朝の目覚めの後、私は瞑想をする。
白檀の香を焚いて床に座り瞑想の準備を整える。
目を閉じて瞑想の導入法を経ると、一気に身体感覚が薄れていく。
五感が閉じて遠のいていくのを感じる。
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私の意識は感覚の表層から内部へと沈んでいく。
そして思考領域に入る。
いつもここで思考に捕まってしまう。
瞑想では鬼門のような場所だ。
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逆に澄んだ水のようにとても静かなことがある。
思考の機嫌のいいときには、そんなこともある。
それは長年の瞑想経験によって、そこに囚われないようになったからかもしれない。
そんなときは、まるで誰もいない森を通り抜けているようだ。
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思考領域を抜けると、深海のような空領域に入る。
空領域では何の思考も起こらず、私は穏やかな静寂に身を任せる。
そうしていると、そこにいるのかいないのか定かでなくなる。
次第に自分という存在が薄れていく。
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透明化して静寂に同化していく自分を心地よく感じている。
静寂は境界もなく、ただ静寂としてあり、静寂以外の何もない。
私は自分が誰かも知らず、時間や場所の感覚さえも失っている。
どのくらい瞑想しているのか、どこで瞑想しているかも分からなくなる。
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ときおり、意識を失ったようになり、瞑想の記憶は断片的になる。
眠ていたのかもしれないが、そこは瞑想していることをも忘れさせるのだ。
ここが私の故郷であり、帰るべき場所だ。
そんな懐かしさや安心感がそこには満ちあふれている。
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そうしていると、どこからか微かな声が聞こえることがある。
そこではない、と言っているようだ。
私は気のせいだとその声を無視して静寂に落ちたままでいる。
すぐに声は遠くなり聞こえなくなる。
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私は瞑想から覚める時間が来たことを感じる。
空領域の満ち足りた感覚が抜けていく。
まるで深海から浮上するように、外の世界の空気を求める。
ほとんど止まっていた呼吸に意識を向けると、それは一層強くなる。
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身体の感覚がよみがえってくる。
そこで私はゆっくりと目を開ける。
視界には見慣れた自分の部屋がある。
私はまだあの空領域の感覚を残している。
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瞑想後の感覚はとても明晰で軽やかだ。
身体も心もリフレッシュした感じがする。
自然と笑顔になっている自分がいる。
瞑想のあとのこの感覚が私のお気に入りだ。
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そうして瞑想をもう何年も習慣として行ってきた。
それはそれで満足していた。
だが、少しばかり何かが足りないと思い始めてもいた。
それが何かわからないため、ずっとそのままにしている。
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今の瞑想の何が悪いというわけではない。
むしろ、私はこの静かな瞑想経験に満足していた。
それ以上を望まなければ、十分な瞑想だ。
この瞑想の形にするまでさえ何年もかかったのだ。
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それでも、靴の中の小石のように無視できない何かがある。
聞かないふりをしていたが、空領域での声も気にはなる。
空領域以上の場所があるのだろうか。
そこではない、…そんなはずはないと思った。
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