名もなき師が教えてくれたこと(15)善行
夢の中で目を開けると、目の前にあの男が座っていた。
鳥たちのさえずりが楽しげで、私は大樹を見上げた。
男は微笑みながら私を見ていた。
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「昨日の続きを話してもいいでしょうか」
「どのぞ始めてください」
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「善行は本当の自分を知るために役に立つでしょうか」
「基本的には役に立ちません」
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「善行は必ずしも必要ないということでしょうか」
「善行を否定するつもりはありませんが、それだけでは不十分なのです」
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「善行を重ねるよりも、瞑想して本当の自分を知ることが優先すると」
「善行を積みたい人はそうするでしょうが、それで本当の自分を見つけることはできないのです」
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「善行は人生においてしなくてもいいということでしょうか」
「善行を積みたい人はそうするべきです」
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「そこに何か問題があるのでしょうか」
「もし善行を積むことで、個人がそれを自分の誇りにするなら問題になります」
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「それは本当の自分を知ろうとすることを阻害するといことでしょうか」
「そうです。それに満足したり、夢中になったりすれば、そうなります」
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「善行とは何でしょうか」
「本当の自分を知ることです」
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「それが善行になるのでしょうか」
「本当の自分を知れば、誰かに何かをするという感覚が薄れます」
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「それがどう善行とつながるのでしょうか」
「誰かではなく、自分に何かをしているという感覚になるのです」
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「それは個人の善行とは違っているのでしょうか」
「本当の自分であるなら、あなたは善行と積んでいるという感覚なしに善行をするでしょう」
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「なるほど、善行は個人の誇りにはならないということですね」
「はい、本人は善行を積んでいるという感覚はありません」
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「つまり本当の自分を知る前と後では、善行の概念が変わってしまうということでしょうか」
「何かを行うことの善悪の概念がなくなります」
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「それは少し危険な感じもしますが」
「世界すべてが自分になれば、自然に世界への対処も変わってくるでしょう」
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「それは悪行をすることもなくなるということでしょうか」
「そういうことですが、本当の自分が悪行を取り締まっているわけではありません」
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「そこに道徳律はないわけですね」
「そもそも道徳律は本当の自分でいるところを発祥としています」
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「善行は本当の自分の自然な本性であると言ってもいいのでしょうか」
「そう理解したいのならそうでもいいでしょうが、本当の自分には何の囚われもないのです」
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「本当の自分に善行にさえも囚われない自由があるということでしょうか」
「本当の自分には果てしない自由があります」
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「自由とは何でしょうか」
そこで男は黙った。
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そこには静けさだけがあった。
私は目を覚ました。
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