名もなき師が教えてくれたこと(1)接触
私は夢の中にいた。
そこで薄暗い森の中をひとり歩いていた。
どこか行くあてがあるわけではない。
しかし、歩くことをやめようとは思わなかった。
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私は細く伸びる獣道を導かれるように歩き続けた。
薄暗い森の中ではその道の先も見えなかった。
突然、森が途切れて、目の前に緑の丘が広がった。
その丘の上にひときわ目を引く巨大な木が見えた。
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私は歩みを止めることなくその木を目指した。
近づくにつれて、その木は想像以上の巨大さだと分かった。
雲を従えるほど空高くそびえ、その枝は丘を覆うよう四方に広く伸びて豊かな緑の葉を揺らしていた。
その姿に圧倒されつつも、私はその木の根元へと導かれていった。
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木の根元はまるで頑丈な壁のようだった。
そこに一人の男が木の幹を背にして座っているのが見えた。
私は興味を惹かれてその男に近づいていた。
男は目を閉じていた。
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私は男の目の前まで来るとそこに座った。
私が座ると男は目を開けた。
その黒い瞳を見て息を呑んだ。
私は男の瞳の奥に星空のような輝きを見たのだ。
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私は男に声をかけた。
「あなたは誰なのでしょうか」
男は微笑みながら答えた。
「私は誰でもない存在です」
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「あなたはどこから来たのでしょうか」
「どこという場所はありません。ある意味、あらゆるところに私はいます」
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「あなたを何と呼べばいいでしょうか」
男は黙ったまま答えなかった。
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「私があなたに会うことに意味があるのでしょうか」
「これから私はここであなたに自分を知ることの大事さを伝えていきます」
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「すでに誰でも自分は大事だと思っています。それを私に伝えるためにあなたはここにいるのでしょうか」
「もう一度、自分についての定義を確かめる必要があります」
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「自分についての定義とは何でしょうか」
「自分とは身体や心ではありません」
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「自分とはこの身体と心のことです。それに記憶とか性格とかも含まれますが、違うのでしょうか」
「それは違います」
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「それでは何が自分なのでしょうか」
「自分とは心の最も奥にある存在のことです」
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「それは心なのではないでしょうか」
「それは心ではありません。心には動きがありますが、それには動きがありません」
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「それは『無』のようなものなのでしょうか」
「『無』ではありません。それは確かに有ります」
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「私たちはそれを知らなければならないのでしょうか」
「はい、それを知らなければなりません」
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「私はその存在を知らなくても生きていけますが」
「それを知らなくても生きていけます」
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「それでは、あえてそれを知る必要もないのではないでしょうか」
「それを知らなければ、自分が誰なのか知らないままです」
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「それで何か不都合があるのでしょうか」
「誰が生きているのか知らなければ、あなたには終わりが来ません」
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「私に終わりが来ないと問題なのでしょうか」
「あなたはずっと同じ人生を繰り返し生きることになります」
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「それは輪廻転生のことでしょうか」
「そうです。それは世界に囚われているようなものです」
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「死んで生まれ変わることを私たちは望んでいますが」
「生命が永遠であるということは輪廻転生するからではありません」
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「終わりがないということは私たちに希望を与えます」
「私から見れば、それは希望を奪っています」
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「私たちはそのことに自覚がないということなのでしょうか」
「その通りです。あなたは全く気づいていません」
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「どうすれば、私たちは自分を知ることができるでしょうか」
男は黙った。
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そして男が何か言いかけようとしたとき、私は目が覚めた。
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