真実はすでに告げられている(12)
真実は美しい矛盾に満ちている。
その矛盾は真我にいることで飲み込める。
個人にとっては、それは理解しがたい矛盾だろう。
しかし、真我にとってはそれは矛盾ではないのだ。
私は瞑想によって自分が真我だと完全に理解した。
これが仏陀が伝えたかった悟りの境地なのだ。
これを言葉で完全に伝えることは不可能だろう。
そのニュアンスでさえ表現することが難しい。
しかし、この仏陀の境地には誰でも到達することができる。
そうすることを決めたなら、その道が自動的に進んでいくのだ。
もちろん強固な固定概念であるカルマがそれを阻むだろう。
それさえも強く真実を求め続ければ、超えていくことができる。
私の人生には様々なことが起こった。
いまも人生では何かが起こり続けている。
それでも私にはひとつの真実しかない。
私は真我であるという真実だけがそこにある。
この真実を超えるものは、この世界にはない。
これ以上のものはないとなったのなら、この世界に何を求めるというのだろうか。
世界に起こるどんなに素晴らしい幸福でさえ、この真実を超えることはできない。
どんな絶望的な不幸が降り掛かっても、この最高の真実が色褪せることはない。
すでに世界に求めるものは何もない。
しかし、個人が何かを求めるのなら、何かを求めることが起こるだろう。
それが世界の求めることだからだ。
そして、私はその世界の求めを尊重するだろう。
私はすでに世界であり、全時間であり、そこで不変の存在としてある。
その存在は世界の流れを都合よく操作しようとするような姑息なことはしない。
世界は世界の意思として流れていく。
それに存在として存在を与えて、その流れを支えてくだろう。
0コメント