真実はすでに告げられている(11)
私とは誰なのか。
私は個人ではない。
私は個人を超えた真我だ。
真我とは存在のこと。
存在は誰ということがない。
ただ、そこには存在しているという現実がある。
真我とはその現実なのだ。
その現実は全世界の根源でもある。
つまり、私は世界でもあるのだ。
私は世界に存在する個人でもあり、個人に起こる感情でもあり、カルマでもある。
それが存在するなら、例外なくそれは私なのだ。
真我は個人や感情、カルマを決して否定しない。
すべてから隔絶された存在は、実はすべてと密接につながっていた。
真我は世界に起こることに影響を受けることはないが、世界に起こることすべてが真我なのだ。
私は個人の奥底にいるが、世界のあらゆるところにもいる。
私はひとつという絶対的存在でありながら、多様性という相対世界をも創造している。
極小でありながら極大。
はじめでありながら終わりでもある。
存在しているけれども存在していない。
私でありながら、私ではない。
生まれたことがないため死ぬこともない。
神と悪魔は同じ存在から創造されている。
どんな失敗すらも成功であり、世界では成功以外のことが起こらない。
そうして存在と世界の関係は矛盾と不思議に満ちている。
私を世界のスケールで推し量ることはできない。
私は世界を超えていて、世界の論理が通じないところにいる。
それでいて、この世界は私なのだ。
そして、その私は世界にひとりしかいない。
0コメント