真実はすでに告げられている(10)

このとき私はすべてのカルマを失ったのだ。

それは特別な解放感がともなうものではなかった。

ただ、それが今まで通りの普通のことだと理解しただけだ。

カルマがないことが、私にとって当たり前のことだった。


それでも人生では様々なことが起こった。

カルマがなくなるということは、個人に何も問題が起こらなくなることではない。

世界が色合いを変えながら流れている限り、そこに問題は起こり続ける。

それでも私の存在はそれに何の影響も受けることはなかった。


私は個人を超えた真我として存在している。

真我であるということは、そこに個人の境界線がないということだ。

世界の物理的な感覚では身体という境界線があるが、同時に真我としては無境界でもある。

この無境界でもって、私は世界全体に浸透してつながっているのだ。


無境界は存在だけという領域で起こる現象だ。

そこに個人のような特定の誰かがいるわけではない。

そこには何の性質もなく、何の動きもなく、何の意思もない。

そして、この世界で最も微細な存在だ。


この広い世界の根底にはこの微細な存在がある。

それは姿形がなく、それでいて決して消えることはない。

真実はこの世界はこの存在だけということだ。

この理解があらゆる道のたったひとつの頂点になっていた。


私は存在以外は何もないという理解をさらに極めていった。

その理解を極めていっても世界が消えるわけではない。

そのためこの世界を幻想だと決めつけることもできない。

この世界もひとつの現実なのだ。


なぜ、この世界は現実なのか。

それはこの世界が存在でできているからだ。

すべては存在を発祥としていて、存在で創造されている。

そうであるなら、世界のすべては存在を失うことができない。


だから、この世界は現実なのだ。

この世界には存在としての真我が遍在している。

そして真我は個人の根底にいて、世界を眺めている。

ここで私は「私」を理解しなければならなかった。


空風瞑想

空風瞑想は忘れてしまった本当の自分を取り戻す瞑想法です。瞑想の中で、今まで気が付かなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけていきます。そこを自分の拠り所にするとき、新しい自分の人生が始まっていきます。