不完全な存在としての自分:瞑想哲学

私たちは不完全ですが、それは神が不完全を望んだからです。私たちに自分が不完全であることの責任はありません。でも、私たちは完全になることができます。その道にはいくつかの障害ががありますが、もし私たちが完全を望むなら、誰でも実現可能な道です。

私たちは不完全な存在です。私たちは自分が不完全であるがゆえに、完全である神という存在を崇拝します。そして完全な神に自分の不足しているところを補って欲しいと願います。でも、どれだけ神に補ってもらっても、私たちは完全になることができません。神に補ってくれたものはいつか消えていき、私たちは再び不完全な存在に戻ります。そのため、私たちは不足している何かをいつも神に補ってもらわなければならず、私たちにとって神はそばに居てくれなければならない大切な存在になります。


なぜ、私たちは不完全なのでしょうか。たとえ完全な状態になっても、どうして再び元に戻ってしまうのでしょうか。結局、神が私たちを救済したとしても完全になることはないため、私たちは不足を補ってくれた神を失望させてしまうことに落胆するばかりです。ときどき、私たちはそんな自分の不完全さに自己嫌悪に陥り、自分を呪い、悲しみに包まれたまま目を閉じます。そうしていても自分の不完全さが消えてなくなるわけではありませんが、そうする他に何をすればいいのか分かりません。


私たちが不完全であることには理由があります。それは神が人間に不完全さを望んだからです。私たちが不完全であるのは自分の責任ではありません。言うなれば、それは神の責任です。神はそんな私たちを哀れんで一時的に救済するかもしれませんが、完全にすることはありません。でも、神は私たちに完全になるための道を残しています。その道は私たちの心の中にあります。神は不完全さに絶望する人々のためにひとつだけ救いの道を残したのです。私たちは自分の不完全さを嘆いたり諦めたりするのではなく、その道を探し出し、実際にその道を進むことができます。そして最終的にそこで完全になることができ、不完全であるがゆえの苦しみから離れることができます。


ただ、すべての人がその道を進むわけではありません。私たちは自分が不完全であっても、その不完全さを許容してくれるこの世界を愛しています。多少自分が傷つくとしても、私たちはこの世界で生きていく素晴らしさを知っています。自分の不完全さに嘆いていても、実際にこの世界から離れたいとはあまり思っていません。そのため、自分が完全になることもあまり望んでいないのです。私たちは神の救済を受け、そして神を失望させつつも、この世界で不完全なまま生きていこうと決めています。


この世界も人間も神が創り出したものです。この宇宙が誕生する前、そこにはただ暗闇があるだけでした。その暗闇の中で目覚めたのが神です。神は自分がここにいると自覚しました。そのときの神には実体がなく暗闇のままです。でも、神はそこに存在するだけで満たされていて完全でした。ある日、神は自分以外の存在を見てみたいと思いました。暗闇だけでは飽きてきたのです。神は万能なので思ったことは何でも実現できます。そこで神は二つに別れました。この二つに分れる動きは空間と時間を生み出しました。二つにわかれた神は、一方は神のまま、もう一方の神は宇宙になりました。宇宙になった神はその後もたくさんの存在に枝分かれしていきました。その存在は太陽や惑星を創りました。そこに生命を誕生させ、生命が生きるということが始まりました。


神は生命体を通して宇宙を見ることができるようになりました。その宇宙の姿にとても興味が惹かれました。自分を素材として創造された空間と時間の中に展開される景色に魅了されたのです。神は惑星に発生したすべての生命体の感覚を通して、自らの身体で創造された宇宙の景色を感じて満足しました。でも、神が二つに分かれたという時点で何かを失いました。失ったのは完全であることです。空間と時間に制約された存在は、永遠でもなく、不足を抱え、他の生命体との不調和が起こります。たとえ素材が神であっても、生命体は不完全であるという性質を免れることができませんでした。そして生命体は元々神であったことを忘れて、自分は生命体だと信じるようになり、ますます自分の不完全さの中に埋没していったのです。


それを見たもう一方の神はとても悲しくなりました。神だったことを忘れて混乱している生命体の姿を見ると心が痛みます。神様は神様であることを忘れてしまった生命体に、自分が神であることを思い出させようとしました。そうすれば、生命体の心の奥にある神が目覚めて、自分は生命体であるという誤解を解くことになると思ったのです。でも、もしすべての生命体がそのことに気がついてしまえば、この宇宙は消滅してしまいます。神様はせっかく創造されたこの宇宙が消え去ることに一抹の寂しさを感じました。でも、生命体の混乱を見て見ぬふりもできません。


そこで、神は一握りの人間だけに自分とは神なのだと分かるようにしました。不完全さに行き詰まっている人間たちに完全になるための道を与えたのです。一握りの人間しかそのことを知らされないのであれば、この宇宙は消滅することもなく、神はそこで世界の変化を楽しむことができます。でも、もし自分が神だということを知りたくなった人が急激に増えたなら、それは宇宙消滅の危機に晒されます。そこで神は悪魔を創りました。悪魔は神への入り口に配置され、安易に神に近づけないようにしたのです。そして、神に近づく人々に世界での快楽に戻るように仕向けました。人間は悪魔を恐れて、気安く神に近づかなくなりました。その道は悪魔が潜む暗闇になり、そのため人々は暗闇を邪悪なものとして恐れるようになったのです。


人々は自分が神だということを忘れ去ったままでいるように神によって制御されています。私たちがいつまでも不完全でいるのはそのためです。でも、私たちの中心は神であることが真実なので、いずれはそのことに気が付きます。私たちは悪魔を恐れないようになり、そして神であるところに戻るようになります。神である人間が神に戻ることを悪魔が押しとどめることはできません。悪魔は神から人間を遠ざけるように指示されましたが、元々神である人間に神の名においてそこから退くように言われます。悪魔はどちらの指示に従えばいいのか混乱しますが、結局、神である人間に道を開けることになります。


そして、私たちが大きなひとつに戻ったとき、宇宙は消滅します。宇宙は消滅しますが、神がいなくなるわけではありません。神はひとつに戻って完全になり、分かれたがゆえの不完全さによって苦しむことがなくなったことに満足します。でも、またあの不完全で美しい宇宙を創りたくなります。その欲望が抑えきれなくなったとき、神はまた分裂してその身体で宇宙を創ってしまうことでしょう。

空風瞑想

空風瞑想は真我実現の瞑想法です。瞑想の中で今まで気づかなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけていきます。「私は誰か」の答えを見つけて、そこを自分の拠り所にするとき、新しい人自分としての生が始まっていくでしょう。