真実はすでに告げられている(6)

私の中には問題になる感情があり、

悟りの境地を得るためにそれを解消しなければならない。

それには瞑想が有効であるが、

その瞑想が感情に関わっている限り、そこに捉えられてしまう。

私はここで悟りへの問題を発見すると同時に、大きなジレンマへと陥ってしまった。

それはあるひとつの固定概念を頑なに信じていたからだった。

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その固定概念とは自分には問題になる感情があると信じていたことだった。

つまり感情と自分自身を同一視していたのだ。

この固定概念がカルマの本体だ。

このカルマがある限り、自分の感情の生滅によって起こる問題は永遠に続いていく。

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瞑想の可能性として、真我を知ることがあると知ったのはこのときだ。

そのとき、ある瞑想の師は言った、

もし真我を知ったなら、カルマの問題は消失することになる。

真我を知ることでカルマと自分が分離されるからだ。

そうなるなら、カルマを解消する必要はなくなる。

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つまりこれは、自分がカルマを背負っているという概念を覆すこと。

カルマは何かに依存することで成り立っている。

心に起こる感情と自分を同一視することでカルマは存在できる。

その自分がいなくなれば、カルマは存在するための拠り所を失う。

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それでも何らかの感情は心の中で起こるだろう。

しかし、自分が真我だと知ったなら、カルマは存在できない。

自分とその感情が同一視されることはないからだ。

感情が自分でなくなっても、真我の私には何の問題もないのだ。

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私はカルマを解消するために、誰がカルマを感じているのかの瞑想を始めた。

もちろん、その誰かとは真我のことだ。

一見、この方法は回り道に見えるが、とても論理的だった。

しかし、現実にはどうだっただろうか。

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そこには真我を確実に見出すまで、

カルマと付き合っていかなければならない苦しさがあった。

ただ、カルマがあることで、それを真我の見出す指標にすることはできた。

感情と自分との同一視を確かめれば、

その自分が真我であるかどうかを確実に確認できたのだ。

そう言った意味では、問題の根源であるカルマにも存在意義があったと言える。


空風瞑想

空風瞑想は忘れてしまった本当の自分を取り戻す瞑想法です。瞑想の中で、今まで気が付かなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけていきます。そこを自分の拠り所にするとき、新しい自分の人生が始まっていきます。