「いま」を生きるならば:瞑想哲学

「いまを生きる」の「いま」は時間ではありません。時間を超えたところにある無時間のことです。私たちはその無時間にいますが、時間の流れに意識が向いているため、そのことに気が付きません。自分が無時間であることに気がついたとき、私たちは「いまを生きる」ことを本当の意味で理解します。

私たちは「いま」この瞬間を大切に生きていこうと思っています。「いま」、好きなことをして、気持ちよくなって、後悔しない生き方を目指します。それは楽ばかりして忍耐しないということではありません。「いま」が大切だからこそ、耐え忍ぶこともあります。それが好きなことであれば、忍耐することも特に苦痛だと思わないでしょう。苦痛を感じたとしても、それはそれで「いま」を生きているからだと受け入れます。そうして、絶え間なく「いま」を大切にしていくその連続の向こうに、私たちは何かの結果を得るのです。その結果を得たとき、「いま」を生きることの大切さを実感します。


ただ、私たちは「いま」を生きているようで、「いま」を生きていません。実際には過去のことを気にしたり、未来のことに思い悩んだりします。私たちは過去や未来に縛られて、「いま」にいながらも過去や未来に気持ちが飛んでいます。「いま」とは何なのでしょうか。それは決して動くことのない瞬間のことです。でも、私たちにとっての「いま」とは、あっという間に過去になっていく時間的な瞬間のことであり、ただの想像でしかなかった未来になることです。私たちにとって、「いま」が過去や未来になることは現実であり、それを無視することはできません。そのため、私たちは動いている時間の上での過去、現在、未来を感じていて、過去と未来に挟まれた瞬間を「いま」だと感じています。


「いま」を時間だと感じている限り、私たちは「いま」を生きているようで、その目は過去や未来を見ています。過去や未来に目を奪われていれば、それは「いま」を生きていることにはなりません。「いま」を生きるとはどういうことなのでしょうか。このことを理解するためには、「いま」をしっかりと見定める必要があります。「いま」は時間の流れに関係なく存在しています。それは時間ではありません。そのため過去にもならないし、未来にもなりません。永遠に瞬間でいるような存在が「いま」です。


私たちはそんな「いま」を知りません。私たちは「いま」を時間の流れの中での「いま」だと思っています。その時間の流れの中の「いま」は常に動いています。そのため、私たちが時間の中での「いま」を生きることは不可能です。それでも、私たちは「いま」を生きることに取り組んでいます。不可能なことを実現しようと四苦八苦しています。それは何度も失敗してきました。時間でないものを時間の中に見つけることはできないのです。私たちの問題は「いま」を生きることではなく、「いま」を知ることです。「いま」を知ることができれば、それはすなわち「いま」を生きることになります。


「いま」とは動くことのない瞬間のことです。私たちは時間の中を生きていると思っていますから、時間を止め続けることなど不可能だと知っています。実際にこの世界の時間を止めることなどファンタジーでしかありません。でも、現実に時間が止まっている世界は存在します。それは私たちの心の奥に在ります。私たちの心の中心は何の動きもなく、従って時間が存在しません。そこは宇宙が始まる前から、ずっと変わらない姿のまま存在しています。それを中心として人間は作られています。その中心だけが「いま」といえるところです。


私たちは瞑想でこの自分の中心を知ることができます。そして、それが自分なのだと理解することができます。そうなったとき、私たちは「いま」を生きていることになります。その「いま」は時間ではないので、移り行くことはありません。それは過去にも未来にもなりません。そして、その静止した点に自分自身を置いたとき、私たちは移り行く時間を見渡すことができます。時間が過去になろうが未来になろうが、私たちは何の努力もなく「いま」にいて、なおかつ時間の流れの中を生きていきます。


「いま」を生きるとは、時間のない世界とこの時間の流れの中の出来事をも同時に生きるということです。私たちはひとりであるはずなのに、二つの世界を同時に生きることなのかと思うかもしれません。それは平行世界のような分離した二つの世界ではありません。時間のない「いま」の大きさは圧倒的で、この宇宙すべてを包み込み、そしてすべてに浸透しています。時間はその中でわずかに動いているだけです。「いま」の世界は「時間移行」の世界よりもはるかに巨大な存在なのです。つまり、「いま」にいることができれば、すべての時間の流れの中にいることも可能なのです。


その「いま」が自分自身です。私たちの小さな心の中心には壮大な真実が存在しています。それでいて、私たちは移り変わる時間の流れの中で個人として生きていきます。私たちが自分自身の真実を知ったなら、個人で生きていることは小さなことだと感じのではないかと思うかもしれません。でも、小さなことだから疎かにしていいとは思いません。私たちは中心の一点から小さな人間という目を通して、移ろい行く時間の中で生きながら、小さな雨の一滴から遥か彼方の銀河に至る宇宙全体という世界までを見渡します。その世界すべてに自分自身が溶け込んでいます。私たちは自分自身の目で、自分自身という世界を見ているのです。すべてが自分自身なので、それはとても愛おしく感じます。そんな私たちは何か特別な個人的結果など求めてはいません。どんな些細な事でも自分にとって直接的だと知っています。これが「いま」を生きている私たちに起こることです。

空風瞑想

空風瞑想は忘れてしまった本当の自分を取り戻す瞑想法です。瞑想の中で、今まで気が付かなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけます。それを自分の拠り所にすることで、人はその真実と共に蘇り、新しい自分として生きることを始めていきます。