考え方という抑圧:瞑想哲学

考え方を変えたなら、私たちは変われるのでしょうか。私たちは自分を変えたいと思っています。そのための基準を考え方に置いています。考え方は私たちに変化を起こします。でも考え方が自分の根本を変えることはありません。もし自分を変えたいなら、自分の根本を知る必要があります。

私たちは自分考え方を変えることで人生を好転させたり、何かの問題を解決したりすることを経験します。考え方を変えることで、いままで膠着状態にあった物事が動くことを目の当たりにします。そうすると、もし自分が考え方を変えるなら、抱えている問題が解決されるという信仰を持つようになります。でも、考え方はそれほど大切なことなのでしょうか。もちろん、人生を生きる上で、考え方は大事です。考え方によって、人間関係や社会が大きく変わっていくことは事実です。ただ、もっと自分自身の根本的なところについては、考え方だけで答えが出るものではないように思えます。


もし、私たちが考え方に支配されてしまったら、私たちは違う考え方をする人を受け入れることができなくなります。たとえば、太陽は赤だという人がいたとして、白だという人も、黄色だという人もいます。もちろん太陽の色についての考えの相違はささやかなことかもしれませんが、世界や人間の在り方といった広いところでは、その相違が相容れることのできない大きな問題に発展するかもしれません。どんな考え方が正しいかの議論が起こったとき、私たちは自分の正しさを主張します。もし、この議論に負けてしまえば、私たちがいままで信じてきたことは偽りだということになり、それを受け入れることはとても屈辱的です。私たちは他の考え方を受け入れることに抵抗して、自分の考え方の正しさを貫き通そうとします。


みんながどう考えれば世界は平和になるのか、どう考えれば人類は悟れるのかといったことは大事なことですが、考えに縛られている限り、そこに本当の解決が訪れることはありません。もし、私たちが世界平和のために武器を捨てることが大事だと考えたり、悟るために宇宙はひとつだと考えるようになったとしても、私たちは根本のところで何も変わらないのです。根本が変わらなければ、いつか私たちは平和であるとか宇宙はひとつだという考えに苛立って、それを放棄する時が来るでしょう。考えというものは、それが平和や悟りの哲学に変わるように、争いや傷つけ合う哲学に戻る可能性があるのです。


考え方ほど私たちの人生に影響を与えるものはありません。でも、それは諸刃の剣です。いい影響を与えるかもしれないし、悪い影響をあたえるかもしれません。いい考え方をすれば、いい影響を与えられると思いますが、それも不確定です。いい考えをして、いい影響が確認されれば、その実績だけでそれはひとり歩きをはじめます。他の考え方を排除し、独善的になっていきます。そしていい考え方は歪んでいきます。このことは考え方を否定しているのではなく、それにはどこかに限界があると知っておく必要があるということです。考え方で自分や世界を変えていくことは悪いことではありません。でも、それは時間や状況によって変化し、いつまでもその効力を保つことはできないのです。たとえ、絶えず新しい考え方を編み出していったとしても、結局は同じことを繰り返していきます。


考え方というのは私たちが完全に信頼できる拠り所ではありません。私たちは自分の考えというものを自分の拠り所にしたくなりますが、どこかで考え方を自分の拠り所にすることを止めなければなりません。では、考え方に代わる自分の拠り所はあるのでしょうか。それがなければ、私たちは何も考えずに漫然と生きていくことになってしまいます。私たちは考え方に欠陥があることを知っていても、そこから離れられないのは、考え方に代わるそれ以上に信頼できる拠り所が見つからないからです。でも、その拠り所はあります。私たちの信頼できる拠り所は、考え方がどこから来たのかを探求することで見つかります。考え方は自分の記憶の中にあったわけではありません。自分の思考という場に突然やってきたのです。その考え方が来た場所、そこが私たちの拠り所となる場所です。


私たちの拠り所となる場所は、私たちの心の中の思考という領域よりも深いところにあります。瞑想することで、その場所を見つけることができます。その場所は、考え方よりもはるかに受容力があり、変化することなく、ひとつであり、とても鮮明です。それが私たちの中心にある自分自身の核のようなものです。そこには何かの考えというものはなく、ただ存在していると知っているだけです。それは動きがないので、私たちの人生に何の影響も与えません。何の影響も与えないということは素晴らしいことです。それは人生に何が起こっても、それに自分が影響されることはないということだからです。


私たちがその拠り所にいるとき、世界の全体像を見ます。拠り所なっている一つの点から動きが起こって考えになります。その考えが私たちの身体を通して世界に変化という影響を与えていきます。この変化は絶え間ない波のように続いていきます。私たちはその波の中で生きています。ただ、そう世界が変化しても、自分の中の拠り所の一点は絶対に変化することがありません。これが拠り所を中心とした世界の全体像です。私たちが拠り所にいるとき、考え方に対してとても自由になります。絶対に世界から影響されないところにいるので、何を考えてもいいし、その結果がどうあろうとも、自分自身にとっては何の問題もありません。もちろん間違った考え方に対しては責任を負わなければならないこともあります。それでも、自分の拠り所は世界から影響を受けたり、その存在が危機にさらされたりすることは起こりません。


考え方を変えるだけでは自分の真実は見えてきません。瞑想で本当の拠り所を見つけたとき、はじめてその真実を目の当たりにします。それは考え方とは比較のできないもっと上位の領域にあります。それを知るために、私たちには真実についての考え方が与えられました。でも、それを知るためには、その真実についての考え方を越えていかなければなりません。自分の考え方を捨てる勇気があり、自分の拠り所を知りたいという熱意を持った人だけが、瞑想の中でその真実を知ることになるでしょう。

空風瞑想

空風瞑想は忘れてしまった本当の自分を取り戻す瞑想法です。瞑想の中で、今まで気が付かなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけます。それを自分の拠り所にすることで、人はその真実と共に蘇り、新しい自分として生きることを始めていきます。