覚醒する人類の意識:瞑想哲学

意識の覚醒は待っていてもやってこない。それは自ら望んで進むべき道だ。だが、多くの人はそれを望まない。なぜなら意識の覚醒のために個人を手放さなければならないからだ。だが、意識の覚醒による人類進化の潮流は消えてはいない。誰かが個人を手放し、実際に意識の覚醒を実現するだろう。そういう人から全人類の進化の道は進んでいく。

意識の覚醒とはどういうことなのでしょうか。私たちはそれを悟りとも呼んできました。古い時代から、私たちは悟った人を敬い、その教えを大切にしてきました。それがいまの宗教の原型になっています。私たちが宗教を信じるかどうかは別にしても、私たちの考えや行動にはその悟った人の教えが色濃く反映されています。ただ、私たちがそうして知っているものは教えであって、悟りそのものではありません。一部の人は自分も悟った人と同様に意識を覚醒させることを試みました。でも、それは簡単なことではなかったのです。


すべての人に意識の覚醒が起こっていないことは、人類にまだ進化の余地が在るということです。少なからず人間は意識の覚醒による進化に挑んできました。でも、多くの人は意識の覚醒にあまり興味がありません。その代わり、私たちは多くの時間を世界に向けています。そして世界を自分にとって住みやすい環境にしようと努力してきました。それはある程度成功してきたといえます。私たちはいろいろな技術や知識の恩恵を得ています。ただ、それで満足しているわけではありません。いつの時代においても、まだまだ世界には問題があって、それを解決しなければ完全ではないと感じています。


私たちは世界の環境を改善していくことが人類を進化させることだと信じています。自然環境や社会制度、道徳的な観念、そういったことが高度に達成される時に人類は幸福になると思っているのです。それは間違いではありません。そうするべきことであり、実際にそう願っているのですから、人類はその方向に進んでいくでしょう。でも、それは人類の進化ではありません。いうなれば環境整備であって、どれだけ環境が整備されても、自分自身は何も変わらないままです。


私たちは進化することを望んでいますが、自分の周りを変えることではなく、もっと自分自身に目を向ける必要があります。私たちは自分が過ごしている環境のことは知ろうとしますが、そこに生きている自分自身のことをあまり知ろうとしません。意識の覚醒という進化の余地が残されているとしても、それを無視して、自分を取り巻く世界環境のことに夢中になっています。私たちにはバランスが必要です。自分自身が進化する道を後回しにしていては、私たちはこの世界でとても重要なことを知らずに死んでいくでしょう。重要なこととはこの世界で生きているのは誰かということです。この自分自身を知るために、私たちに残された時間はあまりありません。


なぜ意識の覚醒をする必要があるのでしょうか。私たちの多くがその進化の方向に興味が無いのは、意識の覚醒の必要性をあまり感じないからです。意識の覚醒などしなくても面白おかしく生きていけます。むしろお金があったり、健康でいる方が人生において幸せな気分になることが多いでしょう。意識の覚醒がそれ以上のことを自分にもたらしてくれるとは思えません。もし、意識を覚醒することで、より多くのお金や健康を得ることができるのであれば、私たちは喜んでそうするでしょう。でも、正直に言うと、それはお金も健康も人生の幸せも私たちに与えてくれはしません。そう言ってしまうと、そんなことに誰も見向きもしなくなります。


私たちは世界から何かを得るために意識の覚醒をするわけではありません。それは世界の環境を整備することとはまったく違うことです。それはつぼみが花開くような、生命の自然な流れにあることです。私たちは時とともに意識を覚醒するようにできているのです。では、なぜいま意識の覚醒は起こらないのでしょうか。それは私たちがつぼみのままでいたいからです。私たちは自分の未熟さを愛しています。未熟なままでいたいという望みが意識の覚醒を遅らせています。まるで大人になりたくない子供のように、私たちは頑なに花開くことを拒んでいます。


なぜそこまでして意識の覚醒を拒むのでしょうか。それはいままでの自分自身を捨てなければならないからです。今までの自分、それは名前であり、知識や記憶であり、地位や財産であり、誰かとのつながりを持っているひとりの人間のことです。意識の覚醒を起こすためには、その自分自身を捨てる必要があります。いったい誰がそんなことを望むのでしょうか。生まれてから今まで大切に築き上げてきた自分を好きこのんで捨てる人などどこにもいません。もし、意識の覚醒が起こるのであれば、私個人に起こって欲しいのです。そして、それを自分自身の大切な体験や記憶のひとつにしたいのです。でも、そんな意識の覚醒は有り得ません。それは個人的な体験ではないのです。


人類は個人を大切にするあまり覚醒するという進化の道を閉ざしてしまったのでしょうか。つぼみから花が開くことは自然なことです。私たち人類は進化したくないという拒絶の壁を壊し始めています。個人を捨てることを正しく理解し、それに抵抗のない人が現れています。人類全体で見れば、その数はまだまだ少なく、それは数万年かけて行われる進化かもしれません。それほど拒絶の壁はとても強固です。ただ、私たちは拒絶の壁を守る一方で、その壁があることの閉塞感も感じています。そこから少しでも壁にヒビが入れば、崩れる勢いは増していきます。それはやがて人類進化の大きな潮流になり、私たちは人類として偉大なゴールに到達するでしょう。


私たちは人類進化の大きな潮流を待つことなく、ひとりの人間として、いますぐにその道を選択して進むことができます。このことだけが生きるということの希望です。どんな世界環境の整備よりも優先されるべきことであり、それを選択することが結果的に世界を救うことにつながっていきます。私たちは神や指導者に救済されることを待つべきではありません。いま、自らの意識で意識の覚醒を選択することです。いつでもその可能性は開かれています。それを選択すれば、その道は開けてきます。ひとりのゴールが多くのゴールにつながっていきます。そしていつか世界は美しい花に満ちた場所になります。

空風瞑想

空風瞑想は忘れてしまった本当の自分を取り戻す瞑想法です。瞑想の中で、今まで気が付かなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけていきます。そこを自分の拠り所にするとき、新しい自分の人生が始まっていきます。