運命を変えることはできるのか:瞑想哲学

私たちの運命は決まっていて、誰もそれをコントロールすることはできない。もし私たちが「自分自身を知る」ことを選択したなら、その運命から離れることができる。それが神が用意した運命から自由になる唯一の道だ。

私たちに起こることは必然なのでしょうか。もし必然なら、人生に起こることのすべては決まっているということになります。つまり、私たちには運命というものがあり、それに抗うことができないということです。次の瞬間に予期しない何かが起こります。それはすでに決められたことかもしれませんが、私たちはそれを知ることができません。それを知ることができないために、私たちは人生の出来事に翻弄されています。


それはいいこともあるでしょうし悪いこともあります。変わりない毎日の繰り返しかもしれません。私たちが何かを選択しようとするとき、それは突然、心の中にひらめきます。それには理由があるかもしれませんが、なぜそのときにその特定のことがひらめいたか説明することができません。それでもそれが自分自身の意思だとして、私たちはその何かを始めます。


その結果がどうなるか、私たちは知ることはできません。でも、運命があるなら、その結果さえ決まっています。ときどき、私たちはその結果を知りたいと思いますが、それは知る必要がありません。もし結果を知ってしまったなら、私たちの行動は制限されたものになってしまうでしょう。いい結果を生み出すものだけに取り組み、悪い結果のものには取り組みません。そんなことになったなら、私たちは人間的に成長することができなくなります。悪い結果のことでさえ、次のステップのために自分には必要なことなのかもしれないのです。どんな選択をしようと、自分の行為がどんな結果になろうと、それはいつでもそうする必要があったということです。


そんな私たちの運命の中で特別なことがあります。それは「自分自身を知りたい」と思うことです。この突然のひらめきは、他のひらめきとまったく違っています。それは私たちの人生を大きく左右する出来事になります。このひらめきは多くの人に起こりますが、たいていの場合、無視されるか排除されます。それは自分の人生に意味があるものではないと判断されるからです。でも、人生の中で何度もこのひらめきが起こります。


ある日、私たちはそのひらめきに従ってみようと決めます。このことも運命として決まっています。そして、心の中に自分自身を見つけたとき、運命というものに大きな風穴を開けます。いままでは、どうなるかわからない運命に従って生きてきました。でも、その自分自身とひとつになったとき、私たちは運命から自由になります。


それは運命を自由にコントロールすることとは違います。相変わらず、この身体と心には予期しないことが起こり続けます。そうであっても、自分自身はその身体と心から離れてところにいて、そこに起こる運命を眺めています。人生に何が起こっても、自分自身はそれに影響されることなく自由でいます。


それは身体や心に起こることに無関係になるとか、麻痺させることではありません。これまで通り、私たちは身体の痛みを感じて、心に起こる感情に悩まされます。自分自身でいるとき、そうであっていいという立場にいます。身体や心は未知の運命の中にあり、人生に翻弄されても構わないのです。どんあことがあっても、自分自身がそれから影響されることがありません。


このように神は運命に翻弄される私たちに、そこから離れることができる小さな道を与えました。私たちはいつでもその道を選択することができます。私たちには自分の意思として、必然なのかどうかなど考えずに、そうしたいと思うことをはじめる自由があります。運命から自由になることさえ、運命であり必然なのかもしれません。神は私たちの考えることを超越していますから、神の考えることを理解することはできません。それでも、私たちがやりたいと思うことは、神がやりたいと思うことです。


私たちは潜在的に自分自身を見つけたいと思っています。私たちが選択することは何であれ、どこかで自分自身を見つける道につながっています。そして自分自身を見つけるということは、自分自身の中に神を見つけることでもあります。私たちはいつか神を見つけて、神とひとつになります。そのとき、私たちは神として運命を超越し、そこから自由になります。だから、人としての人生に必然的に起こることを尊重できるのです。


もし私たちが運命から自由になれば、運命をコントロールする必要はありません。それが運命を変えることです。私たちはいつでもそうなるための選択をすることができます。それが運命の神が与えた私たちへの必然なのです。

空風瞑想

空風瞑想は忘れてしまった本当の自分を取り戻す瞑想法です。瞑想の中で、今まで気が付かなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけます。それを自分の拠り所にすることで、人はその真実と共に蘇り、新しい自分として生きることを始めていきます。