瞑想の効果から離れる:瞑想哲学

瞑想には効果があると言われている。だが、それは必ず失われる限定的なものばかりだ。瞑想は本当の自分自身を知るために機能する。本当の自分自身は決して失われることがない。

瞑想には何かしらの効果があると言われています。私たちはその効果を求めて瞑想をします。もし、何の効果もなければ、瞑想をやめてしまうでしょう。まるで役に立たないサプリをやめるようにです。瞑想は多くの研究によって、様々な効果があると謳われています。ストレスに強くなるとか、洞察力が高くなるとか、運が向上するとか、幸福度が上がるとかです。実際に脳細胞の増加が見られたという研究報告もあります。


その効果を期待して瞑想を始めることは悪いことではありません。そしてその効果は少なからず感じることができます。でも、それらの効果は一時的です。瞑想していてもストレスに参ることがあるでしょうし、問題解決のアイデアが何も浮かばないこともあります。運に見放されたようなことが起きたり、幸福がどこにも見当たらないこともあります。そんなとき、私たちは瞑想していても何にもならないと感じます。そして瞑想から離れていきます。


そもそも瞑想とは一時的な幸福感を感じるためのものではありません。それは幸福か不幸かという判断を超えたところの意識を目覚めさせるものです。私たちは好き嫌いとか良し悪しとかといった思考的な判断にとらわれがちです。それは仕方のない事ですが、それらの状況よりも自分自身には深さがあるということも事実です。瞑想はその思考的な判断の枠を超えていく機能を持っています。


自分の枠を超えることは思考や理論でどうこうできることではありません。それは言葉で言い表せないものなので、直接感じてみるしかありません。そのために、瞑想というツールがあります。様々な瞑想方法がありますが、基本的に人は誰でも瞑想することができます。もし、瞑想でまっすぐに自分の深いところに向かっていったなら、私たちはすぐに思考を超えたところを理解できるでしょう。でも、瞑想の効果にとらわれていたなら、いつまでたってもそこには到達できません。例えて言うなら、それは山登りをしていて、目的は山の頂上なのに、麓で花を摘んだり、川で遊んで時間を費やしているようなものです。多くの場合、私たちは本来の目的を忘れて、いかに山を楽しむかに夢中になります。そして山頂を目指すことなど、疲れるし無駄なことだとさえ思い始めます。


私たちの人生にはすべての人に共通の目的があります。それは本当の自分自身を見つけるということです。私たちはすでに自分自身を見つけようと一生懸命生きていると思っているかもしれません。でも、私たちはそれを世界の中に探しています。世界のものはすべて一時的なので、それを得たと思っても必ず失います。そしてそれらは世界のものなので、決して自分のものにはなりません。


本当の自分を見つける場所は自分自身の心の中にしかありません。私たちが心の中でそれを見つけるためには、思考的な判断を越えていく必要があります。つまりそれは瞑想の効果への期待を止めるということです。私たちが瞑想によって心の中に本当の自分を見つけようとするとき、必ずこの思考的な判断の壁に突き当たります。ほとんどの場合、その壁の前で瞑想の効果を期待することを止められずに、また思考的な判断に戻って、そこで何かを求め続け、そして失い続けながら、幻のような自分自身を追いかけ続けます。私たちはその壁を超えることなく、思考的な判断の中でなんとか自分自身を知ろうとします。そこには必ず幸福か不幸かというような分裂があります。この分裂の中にいる限り、本当の自分自身を理解することはできません。


本当の自分自身には分裂がありません。それはとても純粋な「ひとつ」であり、幸福であろうが不幸であろうが、それがひとつでなくなることはありません。瞑想の効果を期待することや、思考的な判断によって自分を理解しようとすることを止めることで、私たちは分裂という壁を超えていきます。そしてこの壁を超えたとき、私たちは本当の自分自身とひとつになり、そしてすべてになります。すべてになったとき、私たちは瞑想の効果など小さいことだと知ります。そんな小さなことにこだわって、本当の自分自身を知ることに時間がかかっていました。そんな自分が可笑しくなります。


ただ、瞑想をすれば誰でも「ひとつ」になれるわけではありません。正しい方法で正しい指導を受けて、自分で実際にやってみて、やり続けていった先にあるものです。正しい指導者はそのゴールがはっきりと見えています。でも、人の心が効果や思考的な判断に左右されることも知っています。ゴールはすぐそこにありますが、それをはるか遠くにしているのは自分自身の効果を求めてしまう気持ちです。それはとても強力なので、そこから離れるために時間が必要となります。


絶え間ない瞑想によって、私たちはゆっくりと自分が求めているものは何なのかを理解していきます。事を急がせれば、それは無理やり信じるということになりかねません。無理やり信じるということは、思考的な判断の中に閉じこもることです。簡単に分かるものはほとんど真実ではありません。それは薄ぼんやりした壁の中で幻を眺めているようなものです。効果を期待せず、思考的な判断も捨て去って分かることは真実です。それはいまここで息をしている感覚と同じくらいリアリティがあります。


真実を知ったとしても、それは私たちの人生に何の効果も与えません。それは残念なことではなく、とても素晴らしいことです。そのとき、私たちはそうあるべきだとさえ感じるでしょう。私たちの心は思っているよりも深いところがあります。海の波が海のすべてではなく、そこには深海の世界もあるというように、心に浮かぶ思考が私たちの心のすべてではありません。瞑想は私たちをそんな自分自身の深みへと導いてくれます。それが自然であるように、それを邪魔しないようにすることだけが、私たちに必要なことなのです。

空風瞑想

空風瞑想は忘れてしまった本当の自分を取り戻す瞑想法です。瞑想の中で、今まで気が付かなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけます。それを自分の拠り所にすることで、人はその真実と共に蘇り、新しい自分として生きることを始めていきます。