どんな人生をも楽しむ:瞑想哲学

人生はもともと楽しいものだ。それを楽しいと思えないのは、自分を見失って楽しむ気持ちが麻痺しているからだ。もし本当の自分自身を知ったなら、人生は楽しいものだと知るだろう。無邪気に物事を興味深く見る目を持つ子供のように人生を生きるだろう。

私たちは人生を楽しみたいと思っています。でも、人生を楽しむためには条件が必要だと思っています。その条件を満たすことができてこそ、私たちは人生を楽しむ資格があると感じています。その条件とは何でしょうか。それはお金があること、健康なこと、仕事があること、家族に問題がないこと、知識が有ること、地位があることなどです。私たちには探せば何かしらの問題があります。その問題が人生を楽しめなくさせています。お金がなく、病気で仕事もなく、家族に問題を抱え、知識もなく、地位もなかったなら、私たちは人生を楽しんでいいのか悩みます。人生を楽しむ前に、まずその問題を解決しなければと考えます。


人生を楽しむとはどういうことでしょうか。それは起こることを受け入れて、無邪気に面白いと感じることです。実際には人生を楽しむために条件など必要ありません。もし私たちが人生を楽しむには条件が必要だと思っているなら、ごく自然に楽しいと思っている時でさえ、私たちは問題を抱えたまま楽しんでいいのだろうかと考えてしまいます。そして自分の楽しい気持ちに蓋をして、自分の問題のある部分を眺めては落ち込んでいきます。そのため、人生にはたくさんの楽しいことが起こりますが、楽しいことなど何も起こっていないと感じてしまうのです。そうして私たちは楽しいことに対して無感覚になっていきます。


あるいは、楽しいと思うことがあっても、その楽し思いもすぐに終わっていくのだと、そしてまた解決されない問題に苦しめられるのだと想像して楽しむことができません。そんな気持ちになるくらいなら、初めから楽しまなければいいとさえ思います。やがて、私たちにとって楽しむことは忌むべきものとなっていきます。すべての本質は苦しみであり、楽しいと思うことは気休めに過ぎないと決めつけます。それでも人生を苦しい物にはしたくないという気持ちはあるので、私たちはなんとかして人生を楽しもうとします。楽しもうとしますが、本当には楽しんでません。私たちは人生を楽しんでいるように取り繕おうとします。


そうして、どれだけ楽しい振りができるかが、私たちにとっての楽しむことになっていきます。起こることを無邪気に面白いと思うこともなく、起こることがどうして面白いのかを理論的に解説するようになりました。人生を楽しむことは誰かの評価ではありません。何かの型にはまっているわけでもありません。ただひとつの花びらが風に舞っている姿をひとりで見るだけでも楽しいことなのです。でも、大勢で花見をしてお酒を飲んで騒ぐことが人生の楽しみなのだと思い込んで、そういう楽しいことの型をつくって満足しようとしています。


私たちは楽しむ感覚がどこかで麻痺していきました。そして何が楽しいのか分からなくなっています。自然に人生が楽しいと思えるようになるためには、そうして楽しめる自分自身を取り戻す必要があります。麻痺した感覚に血を通わせなければなりません。人生の楽しみの本質とは、自分自身がこうしてここに存在していることです。私たちの存在自体が人生の楽しみなのです。


私たちが存在していることはとても不思議なことです。誰も何故いまここに自分が存在していることを解明することができません。それでも私たちには身体があり、そして考える心があります。その心は考るという機能だけではなく、とてつもなく広い空間のようです。そんな心の空間の一番深いところに自分の核心があります。この核心の周りに心や身体が作られています。私たちは自分のその核心を瞑想によって知ることができます。そしてこの核心があるために、私たちは身体や心として存在することができていると知ります。その身体や心がこの人生を生きています。


実際には、私たちの本質はその核心であり、身体や心ではありません。ですから、私たちは人生を生きているわけではありません。その核心は人ではないので、人生はありません。私たちは人生を生きていないのです。でも、その核心は身体や心を存在させています。それは人生の出来事から隔離されているわけではありません。別室から部屋の様子を覗いているような離れた場所にいるわけではないのです。核心は身体や心のすぐそばにいます。だから、私たちは身体や心を自分のように感じます。


私たちは身体や心を持った人間として、この地球という星で世界を経験するために生まれてきました。それは遊園地に行って笑ったり興奮したりすることと同じです。初めての遊園地が見るものすべて興味深いことであるように、私たちは世界にあるものや起こることを、それがどんなことであれ、無邪気に楽しいと思うことが可能です。そのためには私たちは自分の核心を知らなければなりません。そうでなければ、人生の経験を狭い思考で判断しようとするでしょう。人生をその思考で判断するなら、これは楽しいこと、これは楽しくないことと区別し、結局それは楽しむことに何らかの前提条件を求めるようになります。


自分の核心を知ったっとき、自分とは身体や心ではないと知ります。そして自分の核心であるところから、その周りの身体や心を受け入れ、世界に起こることも奇跡的なことして興味深く感じることができます。核心は人生を眺める私たちの新たな視点となり、そこから人生のどんなことであっても楽しいという気持ちで捉えられるようになります。たとえ身体や心が苦悩や痛みで問題を抱えているとしても、それを興味深い出来事として楽しみます。


私たちが人生を楽しむために必要なことは、自分自身の核心を知ることです。身体や思考ではない、もっと深いところの未知の自分自身を知ることです。そうすれば、人生を楽しむことに何の後ろめたさもなくなり、人生を楽しむための条件をつくろうとしなくても、人生を楽しいものにしようと頑張らなくても、ただ生きているだけで、人生は楽しいものになります。

空風瞑想

空風瞑想は忘れてしまった本当の自分を取り戻す瞑想法です。瞑想の中で、今まで気が付かなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけます。それを自分の拠り所にすることで、人はその真実と共に蘇り、新しい自分として生きることを始めていきます。