祈りが叶うとき:瞑想哲学

私たちは祈りを捧げる。人間を超えた存在に祈る。だが、その祈りが聞き届けられることはない。ただひとつの祈りだけが人間を超えた存在に受け入れられる。

私たちはこれまでたくさんの祈りを捧げてきました。自分の望むことが叶うように祈ってきました。いったい誰に祈っていたのでしょうか。私たちの祈りを聞いてくれたのは誰なのでしょうか。それは神様でしょうか。私たちは神様がいるかどうかは別にしても、自分の祈りを聞き届けてくれる人間を超えた存在を信じています。


私たちは運命というものを感じていて、それは人間がどうこうできるものではないと知っています。私たちは自分の人生を望む運命にするため、その人智を超えた存在に祈りを捧げます。ただ、私たちの祈りはいつも完全に叶えられるわけではありません。逆に殆どの祈りが叶えられないと言ってもいいほどです。それでも自分の力ではどうしようもない状況になった時には祈るしかありません。そんな時は、祈りがかなえられるかどうかなどどうでもよくなり、私たちはただ祈るだけです。


祈りを聞いているであろう人間を超えた存在は、その祈りを聞いてどう思うでしょうか。その祈りを叶えてあげたいと思うでしょうか。もし人々のすべての祈りを叶えてしまったら、世界は大混乱に陥ってしまいます。あちらこちらで自分に都合のいい祈りが繰り広げられ、私たちはそれによって深く傷ついてしまうでしょう。人間の祈りを叶えてはいけない、これが人間を超えた存在の見解です。


ただひとつだけ人間を超えた存在が叶えることができる祈りがあります。それは「自分自身を知りたい」という祈りです。もし私たちが自分自身を知りたいと祈るなら、その祈りは人間を超えた存在に聞き入れられ、必ず叶うでしょう。なぜなら、それはすでに叶っていることであり、加えて、それは祈りを聞いている人間を超えた存在自身になることだからです。


人間を超えた存在にとって、こんなに叶えることが簡単な祈りもありません。しかも、それは世界を混乱に陥らせることもなく、誰でも実現可能な祈りです。でも、人間はあまり自分自身を知りたいと祈ることはありません。そのため人間を超えた存在は、ただじっと人間の祈りに耳を傾けているだけです。その間も、人間は自分の祈りが叶ったとか叶わなかったとかを問題にしています。人間を超えた存在は何もしていません。もし私たちの祈りが叶ったとしても、それはただ世界がそうなったからそうなっただけの話です。


私たちにとって何を祈るかはとても大切なことです。私たちは人間として何を叶えたいのかを知らなければなりません。それは人間を超えた存在が唯一叶えることのできる祈り、「自分自身を知りたい」という祈りに他なりません。そしてその祈りが叶ったとき、祈りを聞いている存在になり、同時に祈り自体になります。

空風瞑想

空風瞑想は忘れてしまった本当の自分を取り戻す瞑想法です。瞑想の中で、今まで気が付かなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけます。それを自分の拠り所にすることで、人はその真実と共に蘇り、新しい自分として生きることを始めていきます。