運命的な出会い:瞑想哲学

私たちには毎瞬出会いが起こっている。それは人かもしれないし、その時の呼吸の中にあるかもしれない。次の瞬間が絶え間なく起こり、私たちは否応なく新しい出会いへ放り込まれる。それらはすべて運命的だ。私たちはそんな出会いに満ちた世界を生きている。

私たちは絶えず運命的な出会いをしています。それはあまり意識されないかもしれません。突然、降って湧いたような衝撃的な出会いがあると、私たちはその時だけに特別な瞬間が起こったように感じます。でも、私たちが取り合わないだけで、どの瞬間にも運命的な出会いは起こっています。


私たちはいったい何と出会っているのでしょうか。出会う人や物事は数限りなくあります。すべての出会いを感じたり記憶したりすることはできません。出会いのほとんどは、私たちの感覚をただ通り過ぎていきます。街に出かければたくさんの人とすれ違います。ほとんど知らない人ばかりで、私たちがそのひとりひとりを気にかけることはありません。家の周りの見慣れた景色はいつもと同じようです。でも、季節や時間や天気によって、それらは昨日の景色とはまったく違っています。呼吸をするだけで、新しい空気が胸の中を満たしていきます。それはひとつ前に吸った空気とは同じではありません。


この瞬間、私たちには何が起こっているのでしょうか。私たちは出会いを求めています。そして毎瞬、そこにある何かを私たちの感覚が捉えます。その感覚は私たちに深い印象を与えることがあれば、何事もなかったかのように離れていくこともあります。そしてほとんどの場合、私たちはそれらの物事に気を払ってません。


私たちが気にかけなような出会いには何か意味があるのでしょうか。すべての存在は私たちの深いところでつながっています。とても繊細な原子や量子の世界において、自分と世界の物事に区別はありません。すべてが生み出される一点においては、私たちがそれを気にかけようと無視しようと、すべてはひとつの存在としてつながっています。繊細な世界で私たちが同じ存在だということは、それぞれが別々の存在に見えるこの世界でも、現実として同じ存在だということです。この世界では決して分離している存在同士が出会っているわけではないのです。


私たちが見ている世界はすべて自分自身です。そうして自分と世界とがひとつの存在としてつながっているなら、すべての出会いは自分自身との出会いです。私たちは出会いを求めています。それは私たちをワクワクさせる特別な何かとの出会いです。一番私たちをワクワクさせる出会いとは自分自身との出会いです。私たちは自分自身と出会うことを求めています。


私たちは本当の自分自身に出会ったことがありません。私たちが何を求めて生きているかといえば、それはいまだに出会ったことのない自分自身に他なりません。私たちが自分など求めいていないと否定したとしても、求めているものをたどっていけば、結局は自分自身につながっていきます。


私たちが瞑想するとき、心の深いところで自分自身に出会います。それが自分自身だと知ったなら、私たちはすべてと内側からつながってひとつになります。そうなったとき、身体で感じられるこの世界を見れば、私たちはその世界のすべてが自分自身だということを実感します。いままでは自分とは違う物事との出会いがあると思っていました。そんな出会いの積み重ねが自分自身を形作っていくと思っていました。実際には出会うものすべてが自分自身だったということです。


衝撃的な特別な出会いも、見過ごしてしまっていた些細な出会いも、それが起こるのは自分自身をそこに見つけるためなのです。その出会いは私たちが感じる良し悪しや好き嫌いといった判断を超えています。私たちはいつも運命的な出会いをしています。私たちが見るものはどんなものであれ自分自身です。すべては自分自身をそこに見つけるための運命的な出会いなのです。

空風瞑想

空風瞑想は忘れてしまった本当の自分を取り戻す瞑想法です。瞑想の中で、今まで気が付かなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけていきます。そこを自分の拠り所にするとき、新しい自分の人生が始まっていきます。