悲しみを超えていく:瞑想哲学

私たちは何かを失うと悲しみに襲われる。悲しみたくないので、失ったものを取り戻そうとする。しかし、根源的なものを失ったままなので、悲しみは繰り返される。もし根源的なものを取り戻せば、悲しみは超越される。

私たちは悲しみを感じます。時に深い悲しみは私たちに立ち上がれないほどのダメージを与えます。私たちにとって悲しみは人生を暗くするものであり、できれば避けたい経験です。なぜ悲しみは起こるのでしょうか。悲しみは何かを喪失した時に起こります。愛する人を失ったとき、財産を失ったとき、仕事に失敗したとき、仲間に裏切られたとき、健康を害したとき、希望を失ったとき。そのため私たちはこの悲しみを補おうと、愛する人を見つけ、財産を得て、仕事を成功させ、信頼する仲間を見つけ、健康になり、希望を手に入れようとします。そうして欠落した何かを補い、満たされることで、悲しみから立ち直ろうとします。


でも、それで悲しみの問題が完全に解決するわけではありません。愛する人がいても、私たちは満たされず、財産がいくらあっても、何かが足りません。仕事をしていても、本当にこれがしたいことなのか疑問があります。信頼する仲間がいても、楽しさの中に虚しさがあります。健康であっても、それで満足というわけでもありません。満たされるという希望はいつしか遠い夢のようになります。現状で満足すればいいと自分を納得させようとするかもしれませんが、本当のところは何かが足りないのです。


その事実に直面すると、また私たちは悲しみに襲われます。何かを手にしていようと、それを失おうと、私たちは心の何処かで、いつも満たされない悲しみを抱えています。それが何故だか分からないので、イライラすることもあり、なぜイライラしているのかも分からず混乱します。わけの分からない虚しさが心を襲うこともあり、そんな時は、ただ悲しさが湧き上がってきます。私たちにとって悲しみは避けて通れない道なのでしょうか。私たちの中で何かが足りないから悲しみが起こります。それはいままで私たちが必要だと思っていたものの中にはありませんでした。


その私たちにとって足りないものとは自分自身です。誰かを愛するとき、私たちは誰が愛しているのか知りません。財産を手にしたとき、誰がそれを手にしているのか知りません。仕事で成功したとき、誰が成功したのか知りません。信頼する仲間がいるとき、誰に仲間がいるのか知りません。健康であるとき、誰が健康なのか知りません。希望があるとき、誰に希望があるのか知りません。悲しみを振り払うために、どれだけ心の中を満たそうとしても、その中心だけがポッカリと空洞になっています。


私たちにとって必要なことは、最高に愛する人を見つけることでも、使い切れないような財産をることでも、夢中になれる仕事を見つけることでも、完全に信頼できる仲間を見つけることでも、完全な健康を手に入れることでも、輝かしい希望を見つけることでもありません。それらは際限のないことであり、追い求めれば追い求めるほどいくらでも手に入ります。私たちはそれらを集めて大きくなることができますが、どれだけ大きくなっても、心の中心の空洞は埋まりません。空洞になっているその場所がある限り、満たされない悲しみをなくすことは出来ません。


私たちは瞑想することで本当の自分自身を見つけることができます。本当の自分自身を見つけたとき、その空洞は隙間なく埋まります。その瞬間、私たちは悲しみを超えます。私たちはどんな状況であっても、満たされるようになります。ただ、私たちがそうして満たされたあとも悲しみは起こります。愛する人を失えば悲しくなります。でも、私たちは満たされたままです。満たされたまま、その中で悲しみを経験しています。悲しみという感情が起こっても、自分自身を失うわけではありません。自分の本質的なところでは完全に悲しみを超えています。ただ、感情というレベルでは悲しみは起こり得ます。


いままで私たちは本質的な悲しみを抱えて生きてきました。その悲しみは完全になくなっています。このことがいままでとの違いです。私たちが自分自身を知って、心の空洞を埋めるということは、自分のあらゆる状況を超えています。自分がどんな状況にあっても、満たされるということが消えることはありません。たとえ悲しみのようなダメージを伴う感情が起こっても、それはすべてが満たされているという中で起こります。


私たちの本質は悲しみではありません。自分自身が悲しみで埋まることはありません。そのため悲しみという感情が起こっても何の問題もない状態でいます。それは悲しみの感情が起こってもいいという許容です。悲しみを超えるとき、私たちに悲しみが起こってもいいのです。それは我慢しているわけでも、諦めているわけでもありません。そうであっても、自分自身は満たされて晴れ渡っています。悲しみを超えるとき、悲しみという感情が起こっても、自分自身は悲しみに同化することなく満たされ続けます。

空風瞑想

空風瞑想は忘れてしまった本当の自分を取り戻す瞑想法です。瞑想の中で、今まで気が付かなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけます。それを自分の拠り所にすることで、人はその真実と共に蘇り、新しい自分として生きることを始めていきます。