人生に無駄なことはない:瞑想哲学

人生に無駄なことはないと言うが、実際には虚しさを感じることがある。私たちは人生の出来事が本当に無駄なことなのかそうでないのか確信を持つことができない。それを確かめる前に、私たちは自分自身の核心を知らなければならない。そうしなければ、私たちは出来事の意味に何の確信も持つことができない。

人生に無駄なことはないという言葉を聞いたことがあります。起こることすべてに意味があり、それらが私たちを導いているのだと。私たちはネガティブな出来事に遭遇したときに気を落としたりします。でも、その出来事があったから、いい出来事に結びつくこともあります。だから挫折や失敗さえも、その次の何かのために起こっているのであり、けっして無駄なことではないと言えます。


ただ、人生に起こる出来事は無駄だと思うことが無くなるわけではありません。私たちは何にも挑戦せず、平穏無事に生きることも出来ます。そうして何十年か過ぎて、自分の人生とは何だったのかと思います。これも無駄なことではないということなのでしょうか。あるいはいろいろなことに挑戦してきて、たくさんの成功を収めたとしても、それが何だったのかと思うこともあるかもしれません。


人生にはいろいろなことが起こって、いろいろな生き方をして、確かに無駄なことは無かったかもしれませんが、それが何だというのでしょうか。人生には無駄なことがないと思ったとしても、それはただ単に出来事がいいことも悪いことも連鎖的に起こっていると知るだけなのではないでしょうか。


出来事が成功につながったり、発見に導かれたりするかもしれません。無駄がないというのは、それだけのことなのでしょうか。逆に、すべてが無駄なことだとも言えます。無駄がない出来事の繰り返しなど、意味のない無駄なことではないかと。私たちは人生の出来事が無駄なことなのか無駄ではないのか混乱してしまいます。そのため、自分の人生が価値あるものだという確証が得られません。


ただ、私たちはそんな人生の中でひとつの光を見つけることが出来ます。すべての出来事の連鎖の中で、この光を見つけることが出来たなら、すべてのことは無駄なことではなかったと分かります。人生が無駄になるかならないかは、この光を見つけられるかどうかにかかっているのです。もしこの光を見つけることが出来なかったなら、どれだけ人生で成功しても、それは無駄なことになります。もしこの光を見つけることが出来たなら、それだけしか人生で得たものがなかったとしても、どれだけ人生が挫折だらけだとしても、それは無駄なことにはなりません。


その光は自分自身の中心部分にあります。それは光りに照らされた何かではなく、その光源そのものです。光はひとつの点として、私たちの中心で光り輝いています。私たちがその光点を見つけたなら、次にその光点そのものになります。私たちが自分の中心の光点になるとき、人生が無駄なのかそうでないのかという領域を超越していて、人生の出来事をすべて包括する完全体になります。


私たちはこの完全体の周りで起こる世界の出来事について、それを無駄なことはないとか無駄なことだとか言ってきたのです。私たちが光点という完全体だと知ったとき、それは完全であるがゆえに、それに照らされた世界は完全になります。つまり、そこには何も無駄なことなどないということです。


これは個人的な判断ではありません。判断においては、人によって無駄か無駄でないかの違いが生まれます。自分自身の中心から見る場合、見えるものすべてが真実になります。それは判断ではなく、誰にとっても確実な真実です。真実はひとつだけなので、それが価値として揺らぐことはありません。その真実が無駄だという判断も存在しません。


人生の物事は光りに照らされて、様々な色や形になるでしょう。私たちはそれを見て、自分が様々な色や形だと思い込んでしまいます。そして私たちはそれを自分のことのようにとらえて、有意義であるとか無意味だとか判断するのです。私たちが自分自身の場所を中心の光点に置くとき、自分の人生の出来事の見方が変わって来ます。それらの色や形は不安定で、価値があるかどうか確証が得られないように見えます。自分がそれらを照らす光点だと知ったとき、それらすべてが確かな真実を基盤とする物事だと知り、無駄なことではないと分かるのです。


私たちは人生に無駄なことがないかどうかを確かめる前に、この真実を知ることができる自分の光点を見つけなければなりません。それを見つけて、自分がそれになったとき、私たちの人生に対する疑問はすべて氷解します。


私たちは人生が無駄なのかそうでないのかに悩んでいます。そうでありながら、私たちはいまでも光点で在り続けています。私たちに必要なことは無駄か無駄でないかで人生の価値をはかることではなく、自分とは光りに照らされたものではなく、光で照らすものだと知ることです。光りに照らされた人生の出来事が、暗に私たちをその光点へと導いています。私たちは自分自身の光点を探して、今もそれを見つけるために生きています。

空風瞑想

空風瞑想は忘れてしまった本当の自分を取り戻す瞑想法です。瞑想の中で、今まで気が付かなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけていきます。そこを自分の拠り所にするとき、新しい自分の人生が始まっていきます。