神の声 第4章:星空の伝承(16)最終話

私は瞑想して、そこにいる自分を何度も確認した。

本当にそこにいるのは自分なのか。

自分であるなら、何か証拠があるはずだ。


自分を止めることなどできないはずだから、

そこにいる自分が本当の自分でないなら、

そこから離れたり、違う何かになれるはずだ。

だが、それは何度試してもできなかった。

私はこれが自分だと認めるしかなかった。


好きか嫌いか、心地良いか不快かといった

私がそれをどう感じるかに関わらず、

これが本当の自分なのだと。


師は私に言った。


本当の自分は自分で知るしかない。

もし、それを知ったなら、

それを失うことはない。

それは世界に起こったのではなく、

あなたの中で起こったことだからだ。

そうなったら、自分という言葉の定義が変わる。

自分とは存在そのもののことであり、

身体や心を持った一個人ではなくなるのだ。

あなたは嫌でもそれを認めるしかない。

あなたが一度この真実を知ってしまったら、

そこから一個人の自分に戻ることはできない。

もし、戻れるのなら、

それは自分に嘘をついていることになる。

それが偽りの自分だと知って生きるのなら、

心の中に大きな影を落とすことになるだろう。


私は今まで目覚めて世界を生きていると思っていた。

だが、本当の自分を知らなければ眠っているも同然だった。

人生には夢の中のような行為があるだけで、

私は定まることのないボヤケた焦点で、

出来事に引きずられて生きているだけだった。


本当の自分を知ることは、

リアルな現実に目覚めて生きていることだ。

自分とは個人ではないと知ったとき、

個人としての自分は夢から覚める。

そして、存在という本当の自分がそこに目覚めるのだ

本当の自分は自分の中心に正しく戻され、

私はそれを現実として生きることを始める。


存在という本当の自分として生きるとは、

どういうことかというと、

このことを言葉で説明することは難しい。

どの師もこのことについては明言を避けている。


私の言葉で少しだけ伝えるなら、

存在としての自分は、

この世界の理論を超えるものになるということだ。


だから、この世界の理論でそれを語ることができない。

ただ、存在になることは可能なので、

そうなってみたときに、

それがどういうことなのか自分で理解することは可能だ。


だが、その前にいつもこの問題が起こる。

本当の自分になることが、

どんな自分になるか分からない状況で、

それを知ろうとすることは動機づけとして弱い。

そこに強いモチベーションが生まれないということだ。


世界に生きる一個人は、何かを選択する理由として、

それで期待できる利益が得られるからだと答える。

もちろん、本当の自分を知ることを選択する場合でも、

そうなったら人生が良くなるかもしれないと期待して、

取り組み始めることだってあり得る。


それはそれで何の問題もないが、

ある時を境に、一個人は本当の自分を知っても、

人生に利益がもたらされるわけではないと知ることになる。


そうすると、殆どの場合、

一個人は本当の自分を知ろうとすることを止めてしまう。

自分の期待する利益が得られないなら、

そんなことはやるだけ無駄だと思うのだ。


私も本当の自分を知ることに、

私個人が期待する何も起こらないと知ったとき、

それを何度も止めたくなった。

実際に止めることもあった。


世界の一般常識からしても、

自分に何の得もないことなら、

それは努力するだけ無駄なことになる。

誰もがそれに費やした時間を後悔するだろう。

だから、誰も本当の自分を知らないままでいる。


だが、本当の自分を知ることが、

自分に不完全さをもたらしている闇を打ち破り、

個人を超えた全く新しい人間に目覚めることは確かなことだ。


新しい自分になるとは、能力を高めたり、

知識を増やしたり、道徳的になることではない。

もちろん、それは大切なことだが、

そうなることが本当の自分になることはないのだ。


本当の自分になることは、

一般常識からすると無駄なことだと思われることであり、

誰からもその価値を認めてもらえないかもしれない。

それでも、このことは、

一個人の持っている固定概念を超えて大きな視野で見たとき、

今までの自分を超越して、

まったく新しい自分に変容することへの胎動なのだ。


本当の自分になるために、

私はたくさんの失敗を重ねてきた。

思い違いや無理解のために無駄に費やした時間もある。

本当の自分になろうとして、

傷つき、悲しみ、絶望に落とされたこともある。

それによって孤独で不幸な人生を歩んだことも少なくない。


そうであっても、私はこの道を歩むことを選んだ。

そしてついに、

私は師たちが残してくれた一本の道の道を見つけた。

それは後戻りできない道だ。

そこを歩むときはたったひとりだ。

仲間はいない。

そこは誰もいない夜道で迷った時の心細さがある。


本当にこの道で間違い何のだろうかと思うことも度々ある。

私は自信たっぷりにそこを歩んできたわけではない。

それでも、そこを諦めずに歩んできた。

私はその道を進んだり、後戻りしたりしながら、

多くの経験の紆余曲折を経て、

その先に本当の自分を見つけ、それとひとつになった。


そうなったときに知ったことは、

結局、私は一番初めの目覚めた自分に戻っただけだということだ。

暗闇に封印されていた古い記憶が鮮やかに蘇る。

その自分は、分断されて一個人になったときに失われたわけではなく、

片時も離れず本当の自分としてそこに在ったのだ。


私は初めの自分を切り離し、闇の中に葬ったはずだった。

だが、それは切り離されたわけでも、

闇の中に捨て去られたわけでもない。

そんなことができるわけがない。


私はひとつの自分から離れて、

ひりの個人になって、個人のその目で、

ただ世界だけを見てみたかっただけだった。


私は一個人の長い人生を旅して、

最後には道を見失い、人生をさまよった末に、

ようやく元々の家に戻ってきた。

世界を当てなく放浪しているときでも、

私にはいつでも戻る家があったのだ。


私は本当の自分を知って、世界を失ったわけではない。

本当の自分に目覚めても、

世界は相変わらずそこにあり、美しく輝いている。

私個人もそこにいて、いきいきと歩いている。


いま、私は心の中に自分の居場所を見つけて、

そこから世界を見ている。

私は個人として、そして世界として生きていると同時に、

そこに息づく存在として、すべてに行き渡っている。


それはもはや人間ではない。

ある意味、それは神と言える存在なのかもしれない。


本当の自分とは個人でもなく、人間でもなく、

ひとつの存在だと知って、それと同化したとき、

私が今まで抱いていた疑問は全て氷解していった。


これが私というひとりの小さな人間に起こった物語だ。

だが、これは私だけの物語ではない。

あなたの物語でもある。


私たちは迷ったり間違ったりしながら、

時と共に、何の無駄もなく心の成熟度を高め、

ひとつの自分に目覚めるための準備を整えている。


長い目で見れば、私たちは思ったほど愚かではないのだ。

そして、私たちが本当の自分を知りたいと思った瞬間に、

どんな暗い世界にいても、

その道が光に照らされて明らかにされる。

あとはそこを歩んでいける勇気があるかどうかだけだ。


世界で何をするのかではなく、

世界に生きているのは誰なのかを知ること、

それを知る道を歩みたいと思うことが、

あなたの新しい自分に目覚める出発点になる。


夜空が暗ければ暗いほど、その星は輝いている。

その輝く星が本当の自分とあなたが出会う場所なのだ。

空風瞑想

空風瞑想は忘れてしまった本当の自分を取り戻す瞑想法です。瞑想の中で、今まで気が付かなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけます。それを自分の拠り所にすることで、人はその真実と共に蘇り、新しい自分として生きることを始めていきます。