神の声 第4章:星空の伝承(7)

何度も転生を繰り返していた私は、

ある人生で、ついに自分の不完全さを

見過ごすことができなくなった。


自分が不完全だという思いが影のように付きまとい、

人生のどんな楽しいことにも満足できない。

楽しさの色彩のすぐそこに、

冷たく湿った物悲しさが付きまとっている。

私は、それを感じると、

まるで味のないご馳走を食べているような、

そんな空虚な気持ちになるのだ。


このままでは何をしても虚しさが募るばかりだ。

私はこの自分の不完全さを

何とかしなくてはならないと思った。


私は、ただ惰性で生きるのではなく、

もっと自分のことを真剣に考えてみることにした。

何とかしてこの短い人生の中で、

あの不完全さの闇を消し去る光を見つけて、

その先に進まなければならない。


私はこうして自分の不完全さを思い悩むことに

運命の存在を感じた。


私はどうしても心の闇をを無視することができない。

それが既に決まっている自分の運命であるかのように、

どうにかしたいと思わずにいられない。


運命とは何なのか。

なぜ今、自分の不完全さを正そうと思うのか。

私はこの運命に向き合ってみることにした。

そうすることで、

そこに自分の不完全さを打ち破る

ヒントがあるかもしれないと思ったのだ。


人間として生きていると、

自分には決まった運命があるのかもしれないと

思うことがある。


私はここに生まれて、そしていつか死んでいく。

それは確かなことだが、その人生の物語は、

人それぞれにひとつとして同じではない。

そのそれぞれの人生の物語は、

緻密に計算されているようにも感じられる。


目に見えない糸がそこら中に張り巡らされていて、

それに操られるように、人は出会ったり、別れたり、

物事に無関心でいたり、興味深く思ったりする。

そんな緻密な動きはすでに出来上がっていて、

人は役者のようになって、

決められたその物語通りに

話を進めているようにも見える。


それとも、そんな運命などなくて、

自分の努力で話を創ってるのか。

それがどうかによって、

私の自分に対する取り組み方も変わってくる。


人生は素晴らしい物語もあれば、

悲劇的な物語もある。

そういった人生物語は、

生まれる前から既に決まっていることなのか、

それとも自分の努力で

新たに創造していくものなのかを知ることは、

人として生きる上で気になることだ。


人生で努力しても、

その努力に対して同じ対価が払われるとは限らない。

努力が報われる人もいれば、報われない人もいる。

努力しなくても素晴らしい人生を送る人もいれば、

努力しても全く浮かばれない人だっている。

それは運命の違いだからということで

片付けて良い問題なのだろうか。


そうして自分で考えても堂々巡りになりそうだ。

そういう時は、師に尋ねるに限る。

師は案外と近くにいるものだ。


ある師は運命は自分で創るものだと言った。

その話はこうだ。


決まった運命などはなく、

その時の自分の生きる姿が人生を創っていく。

もし、何もしない運命が決まっていて、

その人が何もしない人生を受け入れて、

人生で何もしないと決めたのなら、

それは何とも馬鹿げた話だ。

実際にはそんな運命などあるはずがない。


自ら何かの目的をもって人生を創っていくことが、

人間に与えられた能力なのだ。

この能力は神によって与えられた。

その能力を使って自分の人生を創っていくことが、

神の心に沿うことであり、

人間がここに生きる目的なのだ。


またある別の師は、

運命はすでに決められていると言った。


自分が何を思いついて、それを行為に移すことは、

すでに決められている。

人間はすべて決められた運命通りに生きていくのだ。


その運命に抗おうとしても、どうすることもできない。

だから、無理に努力する必要もなく、

どんな運命でも悲観する必要はない。

すべては神が決めた運命通りなのだから。


神、そう神だけが人間の運命を握っている。

自分に起こることすべてが神の配剤なのだ。

だから、辛い時には神に祈る。

そして、苦しい人生から救ってくれるよう、

運命を良い方向へと導いてくれるよう

神に自分の願いを伝えるのだ。


どちらの師の言葉を信じるにしても、

人間が神によって創られたのなら、

自分の人生がどのような運命なのかについて知る由もない。


運命は決まっているのかもしれないし、

決まってないのかもしれない。

それでも人生は何かの形で進んでいくわけで、

後に残った記憶が運命というものの存在を匂わせる。


私のすることが既に決まっているのか、

それとも、その時に自分で創造するのかについての答えは、

人間の手の届くところにはないのだ。

確実なことは神の意図の痕跡のように、

事後に運命のような記述が残されているということ。


もし、人間を超えた所で運命が決められるのなら、

なんて悲劇的な運命なのだ。

神は、人間をその運命に閉じ込めて、

その中で繰り返される迷路を解こうと奮闘する人間を

眺めて楽しんでいるようだ。


それで人間が苦しんでいようと悲しんでいようと、

それが神が書いた台本通りなのだから。

神はそれを変える気はないだろう。


だが、人間にも望みはある。

その望みはその物語の先を知らないということだ。

この先の人生がどのようになるか知らないということは、

ある意味、神の運命の物語から自由だということだ。


何かしたいのなら、運命など決まっていないように、

自由にそれをすることができる。

私が心の闇を振り払って、

完全な自分を知りたいと思うのなら、

それを探求することも自由だということであり、

それが神の書いた物語なのだ。


神は人間に何をさせたいのだろうか。

それは自分が何をしたいかという思いに

従わせることかもしれない。

そこに神の描いた運命はあるだろう。

だが、それは人間にとっては無いに等しいのだ。

空風瞑想

空風瞑想は忘れてしまった本当の自分を取り戻す瞑想法です。瞑想の中で、今まで気が付かなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけていきます。そこを自分の拠り所にするとき、新しい自分の人生が始まっていきます。