青の記憶(22)悲しみ

「青ー、来たぞー」

アンスロポスが部屋に入ってきた。


「あ、どうぞー」

青は微笑みながらアンスロポスを見た。


星は心なしか沈痛な感じで静まり返っている。


「青、時々わけもなく悲しくなる時があるんだが」

「漠然とした不安とか恐れとか、そんなやつだ」


「そういう時はやりきれない気持ちになる」

「これはどうにかならないのか」

「瞑想すると消えるとかないのか」

アンスロポスは悲しい目つきで青を見た。


「人は誰しも」

「いつも幸せな気持ちでいられるわけではないですから」

「辛く悲しい気持ちになるときもあります」


「ただ、瞑想をしても」

「悲観的な気持ちや恐れがなくなるわけではありません」

「残念ながら、それはなくならないんです」


「でも、人がいつも幸せな気持ちでいたら」

「どうなるでしょうか」

「誰もがニコニコして、いつも幸せだと言っていたら」

「それはそれで不気味な感じがします」

青はそう言ってアンスロポスの様子をうかがった。


星が少しざわついた。


「まあ、確かにすべての人が」

「ニコニコして街を歩いていたら」

「それはそれで違和感があるな」


「でも、悲しみは辛いものだし」

「それはそれでどうにかしたくなるぞ」

アンスロポスは困った顔で青を見た。


「それはそうですよね」

「悲しい気持ちは辛いものですから」

「人はそれを消すために楽しいことをしたり」

「考え方を変えて、それを打ち消そうとしたりします」


「それでいくらか悲しい気持ちはなくなるかもしれません」

「でも、それはまた心の中に起こる可能性があります」

「それをなくすことはできません」


「人間とはそういうものだと」

「諦めて受け入れるしかないかもしれません」


「でも、いつ現れるかわからない」

「悲しみや恐れに」

「怯えて生きるのも苦しいものです」


「実は、それに対して」

「できることがひとつだけあります」

青はコホンとひとつ咳をした。


「ほう、で、それは何なんだ」

「…ああ、そうか」

「あれだな、本当の自分を知ることだな」

アンスロポスはニッと笑って青を見た。


「その通りです、アンスロポスさん」

「だんだん分かってきましたね」


「では、本当の自分を知ることが」

「悲しみに対してできることは何でしょうか」

青もアンスロポスを見てニッと笑った。


「それは、そうだな…」

「本当の自分が悲しみを幸せに変えるとか」

「そんなとこか」

アンスロポスはそう言って天井を見上げた。


「んー、まあちょっと違いますね」

「残念ながら、悲しみを幸せに変えることはできません」


「実は、悲しみの問題は」

「誰が悲しんでいるのかというところにあります」


「それは自分が悲しんでいるのですが」

「一般的にその自分とは体と心のことだと思われています」

「もちろん、それは本当の自分ではありません」


「では、心と体が悲しんでいるとき」

「本当の自分はどうなっているかというと」

「本当の自分は悲しんでいません」


「本当の自分は存在から変化しないため」

「悲しみに影響されることがないんです」


「ですから、もし本当の自分を知って」

「それとひとつになるなら」

「もう自分は悲しむことがなくなります」


「悲しんでいるのは」

「体と心だと知ることになるからです」


「では、本当の自分は」

「悲しみを傍観しているだけなのかというと」

「そういうわけでもありません」


「本当の自分は」

「悲しみととても密接な関係を持っています」


「決して悲しみを」

「他人事のように捉えているわけではありません」


「本当の自分は存在なので」

「それは自分であると同時に悲しみの素材でもあり」

「それを感じている体や心の素材でもあるのです」

青はここまで話すと一息ついた。


「何だかややこしい話だな」

「オレの悲しみもどこかに吹き飛びそうだ…」

アンスロポスは眉をひそめた。


「説明するとなるとややこしいので」

「ちょっと疲れます…」


「それで…」

「悲しみと本当の自分、そして体や心は」

「まあ、そういう関係なわけです」


「つまり、本当の自分であれば」

「悲しみがあっても困らないという状態になるんです」


「本当の自分は悲しみによって変わることなく」

「それでいて悲しみの本質でもあります」

「だから、悲しみがあってもいいという立場になり」

「この立場が、悲しみを無条件で受け入れることになり」

「そして、本当の自分は悲しみを打ち消す必要がないと理解します」

お分かりになりますか、と青は言った。


「うーん、何だかよく分からんな」

「要するに、どうやっても」

「悲しみは消すことはできないんだな」


「辛いことも変わりがない」

「ただ、本当の自分は悲しむことはなく」

「だけど、悲しみ自体は本当の自分でもある」

「うむむ、やっぱり理解し難い話だぞ、青」

アンスロポスは悲しい目で青を見た。


「うーん、たしかに変な話ですね…」

「では、こう考えたらどうでしょう」


「もし、アンスロポスさんが海の水だとして」

「海が嵐になったら恐ろしいと思うでしょうか」


「もしアンスロポスさんが小舟に乗った人間だとしたら」

「嵐は恐ろしいものに思えるでしょう」


「でも、水であったなら」

「海の水が嵐になろうと凪だろうと」

「自分が水であることに変わりはないわけです」


「つまり、嵐であっても自分が壊されるような」

「そんな恐ろしい目には会いません」


「悲しいこともこれと同じです」

「本当の自分とはそういう立場にいるんです」

青は、この説明ならどうでしょうと言った。


「うむ、なるほど…」

「少し分かるような気がする」


「ただ、悲しみとか不安とかは理屈じゃないからな」

「理性でどうこうできるものでもない」


「それを感じた時に」

「本当の自分でいることでそれがどう感じられるのか」

「それがはっきりとは分からん」


「まあ、瞑想で本当の自分を知らなければ」

「それは分からんのだろうな」

アンスロポスは腕を組んで目を閉じた。


星は落ち着かなそうにザワザワとしている。


「そうですね」

「悲しみや恐れがなくなるわけではないですから」


「それを本当にあってもいいなどと思えるのか…」

「それを知るためには本当の自分を知らなければ」

「分かりません」


「ここでアンスロポスさんを説得するつもりはありません」

「何が正しいかは、自分で直接確かめなければ」

「本当に分かったことにはなりませんし…」


「ただ、私の知っていることをお話しておきます」

「あとは、アンスロポスさんがそれをどう感じるかです」

青は微笑みながらアンスロポスを見た。


「うむー、何だか今日は頭が一杯になった」

「帰ってよく整理してみる」

アンスロポスはそう言って部屋を出ていった。


星の落ち着かないざわめきが大きくなったが、

やがて収まっていった。


青はそんな星を静かに見つめた。

空風瞑想

空風瞑想は忘れてしまった本当の自分を取り戻す瞑想法です。瞑想の中で、今まで気が付かなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけていきます。そこを自分の拠り所にするとき、新しい自分の人生が始まっていきます。