12:神がいなくなった


私はふと思い立って海へと出かけた。 


海辺に着いたときには、 

すでに日が沈み、辺りは薄暗くなっていた。 


誰もいない砂浜を波打ち際まで歩いていった。  


私は打ち寄せる波が見えるところまで行き、 

砂の上に腰を下ろして、目の前に広がる暗い海を眺めた。  


広がる海の景色と繰り返す波音のリズムが、 

私の何かをそこに同調させる。 


心がシンシンと静まり返って、 

まるで果てしない空洞のようになる。 


何とも不思議な感覚だ。 

ずっと、その感覚に心を委ねていたくなる。 


しばらく、そんな時間に埋没していた。 


そのとき、 

水平線がぼんやりと明るくなっていくのに気づいた。 


夜明けには早すぎる。 

船の灯火にしては明るすぎる。 


私は何だろうと思い、 

じっと水平線を見つめた。 


水平線の明るさは徐々に増していって、 

そして、そこから月が昇り始めた。 


ああ、月か。 


ゆっくりとゆっくりと 

丸い月が水平線に姿を現していく。  


やがて、月は水平線にポッカリと浮かんだ。 

それは言葉で言い表せないほどの美しさだ。 


ああ、きれいだ。 

思わず、口から言葉が漏れる。 


ありがとう。 

そう声が聞こえた。 


えっと思って声がした方を向くと、 

私のとなりに女性が座っていた。 


髪の長い若い女性だ。 

白っぽい服が海風に揺れている。 


月あかりが女性の横顔を照らして、 

その白い光が美しい人だとささやく。 


ええ、素敵な満月ですね。 

私は驚きつつも反射的にそう答えた。 


いつからとなりに座っていたのだろうか。 

まったく気が付かなかった。 


それに、 ありがとうとはどういう意味だろうか。 


あの、よくここには来られるんですか。 

私は当り障りのないことを聞いてみた。 

聞いてから、変な質問だったと汗が出た。  


よく来るも何も、私は月の精ですから、 

いつもあの月と一緒にいますよ。 


なるほど、月の精か。。。 

ロマンチックな話だな。  


毎晩、私は空にいますが、 

それが当たり前で見慣れたせいか、 

最近きれいと言ってくれる人が少なくて。 

そう言うと、 月の精は少し寂しげに笑った。 


あなたは私が見えるんですね。  

私のことを見える人も少なくなって、 

こうして人とお話するのも久しぶりなんです。 

今度は笑顔が明るく弾ける。 


そうなんですか。 

それはどうも。 

私は月の精を横目で見ながら軽く会釈した。 


あなたは不思議な人ですね。 

人間なんですか。 


ふむ、どうも月の精さんの世界に引き込まれそうだ。  


私はごく当たり前の人間ですよ。 

そう言ってから、軽く咳払いした。 


この果てしない宇宙からしたら、 

取るに足らない存在です。 


そんな話をしている間に、 

満月は水平線を離れて、 

どんどんと天空へと上がっていく。 


月の光が海を照らして、 

水面をキラキラと輝かせる。 


二人は黙って、それを眺めた。 

心地いい沈黙の時間が流れていく。  


とても、きれいですね。 

私は沈黙を破って、そう月の精に言った。  


あまり黙っていると、 

月の精がどこかに消えてしまいそうで、 

ハッとして出てきた言葉がそれだ。 


が、この言葉、 

誤解を生む言葉だとすぐに気がついた。 


あの、その、この景色がです。 

私はそう言い足したが、 

余計なことを言ったと額を掻いた。  


月の精の横顔はあの月のように 

淡く神秘的な光を放っている。 

私はその光に取り込まれそうになった。 


この月の光の下にいると、 

とても静かな空気に覆われているようだ。 


そうですね。 

この世界の美しさは驚くばかりです。 

しばらく沈黙した後に、月の精は言った。  


二人はまた黙った。 

私も余計なおしゃべりはしないことにした。 


実は…、 

しばらくしてから、今度は月の精が口を開いた。 


実は…、私がこうして地球上を照らしているのは、 

ある人を探すためなんです。 

月の精はそう言うと、小さくため息をついた。  


もう、探し始めてかなりの年月が経ちますが、 

その人は見つからないままです。 


私はその人を見つけるまで、 

毎晩、こうして地上を照らして 

探し続けなければならないんです。 


月の精はそう言ってから、 

一瞬、私の目を見た。 


それは誰なのですか。 

私は月の精の横顔を見ながら聞いてみた。  


それは、私を創った人です。 

その人は私だけでなく、私の仲間も創りました。 

それだけではなく、この宇宙をも創ったのです。 


でも、その人は私たちやこの宇宙を創ったあと、 

何処かに消えてしまいました。 


どこかの星に隠れてしまったといわれています。 


その人を探そうとしましたが、 

宇宙は広すぎるので、 

仲間たちと手分けすることになったのです。 


それで、私はこの地球を担当することになり、 

こうして月になって探し続けているというわけです。  


すみません。 

あなたにはワケがわからない話ですよね。 


月の精はそう言うと、 悲しげに微笑んだ。 


いえ、そうなんですね。 

私はちょっと興味が引かれた。 


で、なぜその人を探さなければならないんですか。 

月の精さんの悲しげな微笑みにつられて尋ねた。 


月の精は答えた。 

その人は私たちに教えなかったことがあります。 

それは、なぜ私たちが創られたかということです。 


自分がなぜ創られたか分からないため、 

それが小さな影になって心の中に残りました。  


私たちは、それを抱えて 生きていかなければならなくなりました。  


それだけなら良いのですが、 

その影は痛みや恐れを私たちにもたらすのです。 


いろいろ試しましたが、 

その影をどうやっても取り除けませんでした。  


ただ、その影を取り除く方法は分かりました。 

それが、自分はなぜ創られたかを知ることなのです。  


だから、その人を見つけて、 

なぜ私たちが創られたのかを、教えてもらわなければなりません。  


なるほど、そういうことか。 

月の精さんにとっては切実な話なんだ。 


大変ですね。 

ずっと探しているなんて。 

私は同情を込めてそう言った。 


その人を探すヒントみたいなものはあるのですか。 

私はただの人間なので、 

月の精の力になれないと分かってはいた。  


月の精はちらっと私を横目で見ると、 

少しうつむきながら、 

それでも心を決めたようなしっかりと口調で話した。  


その人はいろいろな姿になると言われています。 

生まれたり死んだりすることからも自由で、 

見た目の姿形では判断することができません。  


それで見つけようとは、あまりにも無理な注文だ。 

それではなかなか探しようがないですね。 

そう言って、私はこの可憐な月の精の悩みに、 

本当に何の力にもなれないと思った。 


ただ、その人はあるとき突然現れると言われています。 

私はそれを期待して、ずっと空から地上を眺めているのです。 

月の精は少しだけ明るい声でそう言った。  


突然、現れた人が、その人かどうかをどう判断するのですか。 

私は月の精の微かな希望を消さないように優しい口調で聞いてみた。  


それは会えば分かると言われています。 

月の精はそう言って黙った。 


私もその沈黙に付き合って、 

しばらく口を閉じた。 


私はその宇宙の創造者があまりにも無責任な気がしてきた。 

創るだけ創って、それを中途半端なままにして姿を消すとは。 

そのせいで傷ついている人がいるのだ。 


月の精は話しているうちに気落ちしたのか、 

その周りに悲しげな光を漂わせている。 


いままで長く辛い時間を過ごしてきたのだ。 

悲しい気持ちになるのも当たり前だ。 


その人って、神様のことかな。 

私は思いつきで独り言のように、そう呟いた。  


月の精はこの言葉を聞き逃さなかった。 

神さま…ですか。 


かみさま…、いい響きですね。 

月の精はそう言って言葉を噛み締める。 


そう、かみさま。 

実は私も神さまのことはよく知らない。 


月の精は顔をほころばせた。 

もしかして、あなたが神さまじゃないんですか。 


いやいや、それはないですよ。 

私は神さまじゃありません。 

神さまのワケがないじゃありませんか。 


さっきも言ったように、 

私はこの宇宙では取るに足りない存在なんですよ。 


私は慌てて否定したが、 

月の精はじっと私の顔を見入っている。 


そうやって否定するところが怪しいです。  

あなたは普通じゃないと思ってました。 

私と話もできるし、おかしいじゃないですか。 


月の精は私を疑いの眼差しで見て意気込んだ。  

その人は突然、現れると言われています。 

それがあなたのことじゃないのですか。 


月の精は私の手首をギュッと握った。 

もう逃しませんよという感じだ。 


手首を握られるのは悪い気はしなかったが、 

急に月の精の話の中に放り込まれて困惑した。  


私が神さまだったら、自分でそう言いますよ。 

あなたに意地悪してもしょうがないじゃありませんか。 


私は月の精にそう言ったが、 

私を見る疑いの眼差しは解けない。 


おかしい。 

月の精は私の顔をみてつぶやく。 


きっと、あなたは長い年月の間に、 

自分が神さまだということを忘れてしまったのね。 


ちょっと待って。 

月の精がおかしな考えに行く前に、 

私は何とかしてこの話を止めようとした。  


私にとっては、 

月の精と名乗っているあなたが 

神さまみたいなもんですよ。 


私はまさに神さまと話をしているようです。 

そう、私は月の精に言った。 


私が神さまのわけがないじゃありませんか。 

わたしはその人をこうしてずって探しているのですよ。 

月の精は声を荒げた。 


そう慌てて否定するところが怪しい。 

あなたが神さまなんじゃありませんか。 


月の精に押しまくられていた私は反撃に出た。 

無理矢理でも話の流れを変えようとしたのだ。 


どういうことなの。 

どういうことなんだ。 


二人はそこで黙った。 

満月は二人の真上まで登って、 

夜空を明るく照らしている。 


こんなこと話し続けていても 

結論が出るわけがないのだ。  


月の精だって、こんなに都合よく、 

その人が現れるなんて思っていない。 


ちょっとした希望に寄りかかっただけだ。 


お互いにそれが分かっていたので、 

二人は黙った。 


でも、二人が黙った理由は他にもあった。 


私たちは神さまのすぐ近くにいる感じがしたのだ。 

それはすぐとなりに神さまが座っているのではないかと思うほど。 


手を伸ばせば、触れられるくらい、 

そこに息づかいさえ感じられるほど、 

その人を近くに感じた。  


声を出してこの話をすると、 

その感覚が消えてしまう気がして、 

二人は黙ったのだ。 


そうして黙っていると、 

私の感覚から海の渚の音が消え、 

水面の輝きも消え、 

月の光も消えて、月の精も消えた。 


砂浜に座っている私も消えて、 

すべてが消え去った。 


そして、何もかもがひとつになった。 


ああ、この人のことか。 

そこで私はそう思った。 


そう感じたとき、 

私はスッと人間の感覚に戻った。 


となりに座る月の精を感じた。 

まだ手首を握られている感触がある。 


月の光や輝く水面が戻り、 

絶え間なく繰り返す渚の音も聞こえた。 


月の精は静かに私の目を見つめている。 

そして、満月のように微笑んで言った。 


 ようやくあの人を見つけた。 

空風瞑想

空風瞑想は忘れてしまった本当の自分を取り戻す瞑想法です。瞑想の中で、今まで気が付かなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけていきます。そこを自分の拠り所にするとき、新しい自分の人生が始まっていきます。