25:欲望からの離脱について


 かつてスピリット・ウェイカーは私にこう語った。 


 意識の目覚めは特別なことではない。誰にでも可能な、当たり前のように起こることだ。だが、あなたは意識の目覚めを求めていない。意識の目覚めにあまり価値を置いていないのだ。そのため、いつまでも意識の目覚めが起こらない。


 あなたは人生で一番大切なことを世界に求めている。世界にあるもの、それはお金であり、仕事であり、健康であり、人間関係であり、そういった客観的に認められることだ。あなたはそれらを求めて快楽を得る。その快楽が世界を求めることの正しさの根拠になっている。だが、その快楽は必ず薄れていく。そのため、あなたはさらに世界から何かを手に入れて、失った快楽を補おうとする。


 あなたはそうして世界から絶え間なく何かを求め続け、そして際限のない欲望の循環の中に埋もれていく。このことを知った人はそこから離れようとするかもしれない。だが、そこから離れることは簡単ではない。人は一度経験した快楽から離れることが難しい。肉体的、精神的な快楽は人を虜にする。それに違和感を感じたとしても、あなたはそこから離れられなくなる。


 あなたがそんな状況にあるとき、快楽を肯定的なものととらえて、あえてそれに埋没する道を選ぼうとするかもしれない。それが自分のあるがままの姿だと思うのだ。快楽の循環の中で生きることが人間の本質だと認める。だが、それでは循環から離れるという問題の解決にはならない。そのため、あなたはいつも癒えることのない渇望を抱え続けることになる。


 そこから離れるために厳しい修業をする人がいる。修業によって、あらゆる欲望を捨て、快楽を求める心身を徹底的に排除する。だが、それでもまだ循環の中に取り残されたままだ。それは一時的に欲望を静止させただけに過ぎない。修行をやめてしまえば、身体や心はかつての欲望を取り戻し、また循環を回し始める。そして、その修行すら、いつの間にか自分の求める快楽になりかねないのだ。 


 あなたはどうしてもこの循環から離れることができない。気がつけば、一時的な快楽のために世界から何かを求めている。あなたはこの現状に抵抗を示しながらも、本当のところは、世界の中で快楽を求めることを止めたくないとも思っている。実際にその循環の中にいて安心することも、満足することもあるのだ。そして、より満足度の高い人生を送るための方法を見つけようと頑張ることもできる。あなたはそれが自分の人生の本質だということを変えたくない。


 あなたがこの欲望の循環から離れるための唯一の方法は、心の中で意識を覚醒させることだ。だが、あなたは意識の覚醒を求めてはいない。意識の覚醒の大切さを学ぶことがあるかもしれないが、それさえも精神的な快楽を得るための手段にしようとする。結局、あなたは快楽を失うくらいなら、意識の覚醒など知らなくていいと思っているのだ。


 欲望の循環にとらえられているあなたに必要なことは、ただ心の中の目を開こうとすることだけだ。それだけで、修行など必要なく、あなたの意識は目覚める。あなたの意識の目覚めを邪魔しているのは、ただ目覚めたくないという思いだけなのだ。


 あなたの中で意識が目覚めたとき、あなたは欲望の循環から自由になっている。ただ、意識の目覚めのあとも、あなたは世界に何かを求める。それは心身としてのあなたが快楽を求めるからだ。見かけ上そのようであっても、意識としてのあなたは欲望から自由だ。目覚めた意識は何かを求める必要がない。なぜなら、世界のすべてのものは意識でできていて、あなたがその意識でなくなることはないからだ。 

空風瞑想

空風瞑想は忘れてしまった本当の自分を取り戻す瞑想法です。瞑想の中で、今まで気が付かなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけます。それを自分の拠り所にすることで、人はその真実と共に蘇り、新しい自分として生きることを始めていきます。