24:信じられることについて


 かつてスピリット・ウェイカーは私にこう語った。


 あなたは目に見えるものを信じている。目に見えるものは誰にとっても真実であり、それは確かなものとして共通の認識を得ることができる。誰もが認めるものを信じることは、とても安心感がある。もし、自分にしか見えないものであれば、他の人はそれを信じることができない。そのため、自分が見えていたとしても、それが信じられるものかどうか不安になる。


 ある人がそこに何かが見えると言って指差しても、何も見えなければ、他の人がそこに何かあることを信じることは難しい。そのため、たとえ自分ではっきりと見えていても、他の人にそれを信じてもらえなければ、段々と自分が信じられなくなる。


 もしかすると、自分が見えているものは幻なのかもしれないし、真実かのように思い込んでいるだけかもしれない。そうして、誰もそれを認めてくれなければ、あなたは実際に見えていることでも無視するようになる。


 だが、自分にしか分からない真実もある。それを認める人が誰もいなくても、自分自身でそれが真実だと分かることもある。それは本当の自分自身のことだ。それは目に見えない。そこにあると指を差すこともできない。自分ですらそれを目にすることができない。それでも本当の自分自身は存在する。


 本当の自分自身は存在そのものだ。それは客観的なものでなく、見ようとしている自分自身そのものなので目にすることができない。目にすることができないから存在しないという理屈は、存在には当てはまらない。それは目には見えないが、主体として確かに存在している。


 あなたはその存在を無視している。他の誰もそれを認めることができないので、信じることを諦めている。そして、光り輝く魂とか、素晴らしい景色の記憶とか、日常の満ち足りた生活を自分自身にしようとしている。それは理解できないことではないが、それが本当の自分自身になることはない。 


 あなたは存在そのものになることで、目に見えない真実を理解する。目で目を見ることができないように、存在はそこにある。目に見えないからといって目の存在を否定することができないように、本当の自分自身は自分の中に存在している。


 あなたはいままでの客観的な自分自身から、主体としての本当の自分自身へと自分の所在を変えることができる。そのためには本当の自分自身に目を向けなければならない。そして、最後には目を向けることをやめて、それとひとつに融合するのだ。


 それは自分として当たり前の状態だ。誰もがいつでも自分自身でいる。だが、あなたは身体や心、能力、記憶、状況を自分自身にしてきた。そんな変化するものを自分自身としてきたので、あなたはいつまでたってもあいまいな自分自身でしかなかった。


 本当の自分自身は存在として変化しないため、そこでひとつになるだけで満たされる。あいまいだった自分自身がそこで完成される。それでも、あなたの身体や心、能力、記憶、状況は、いままで通り変化していくだろう。それは変化する世界のことなので止めることはできない。本当の自分自身はその中心にあって変化することがない。そのため、変化するものをすべて受け入れることができる。 


 そんな自分自身を他の人に認めてもらうことは難しい。だが、あなたはそれが存在するという真実を、直接、自分自身で理解することができる。その真実を認めることで、あなたは世界で唯一信じられるものを自分自身の拠り所とすることができるのだ。 

空風瞑想

空風瞑想は忘れてしまった本当の自分を取り戻す瞑想法です。瞑想の中で、今まで気が付かなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけていきます。そこを自分の拠り所にするとき、新しい自分の人生が始まっていきます。