19:神とは誰かについて

かつてスピリット・ウェイカーは私にこう語った。


普段、あなたが神の存在を意識することはない。いつもの生活の中では、神がいてもいなくても問題になることはない。もちろん、神の存在を信じている人もいるだろう。それでも日々の生活の諸問題の方が現実的に大切なことで、神の存在に思いを傾ける時間は僅かだ。


そもそも神は自分の存在をあまり主張しない。神が神を信じなさいとあなたに押し付けることもない。そのため、あなたは神の存在をファンタジーのように感じている。それに神の存在を信じたところで、実際に何かが変わるわけでもない。そのことで神が願い事を聞き入れたり、人生の便宜をはかることもない。神話においてはそんな話もあるが、本当のことかは分からず、それが本当の神の仕業かどうかも分からないのだ。


現実の人生において、神が神自身を主張してくることはないのだから、あなたは神の存在や神の恩恵など分かるはずもない。あなたが神を信じますかと問われたなら、神は本当に存在するのだろうかと疑問に思うだろう。そして、もし神が存在するなら、その存在は自分にとって本当に必要な存在なのだろうかと思う。


現実的にあなたは神の存在よりも、財産であったり、健康であったり、娯楽や仕事、人間関係などを大切にしている。そういったことが、神の存在よりも自分を幸福にしてくれると思っているからだ。思っているだけでなく、現実にそうだと実感している。


神が存在すると信じることは、あなたに謙虚さをもたらす。謙虚さは美徳であり、それはあなたが幸福になる上で大切な要素だ。謙虚さは財産や健康、娯楽や仕事、人間関係の質を上げるために必要なことだ。そのために、あなたは神を信じることにしているかもしれない。


存在するかどうかも知らない神の恩恵があるかもしれないと感じるのは、あなたが幸福になったときだろう。誰かがあなたを幸福にしたのだ。あなたは見たこともない神に手を合わせて感謝する。だが、神が本当に存在するのは分からないままだ。


神は確かに存在する。神とはこの宇宙を構成している最小単位だ。その最小単位とは「存在」だ。すべては存在している。この宇宙には様々な形態のものがあるが、存在でないものは存在していない。神があなたに最初に与えたものがこの「存在」だ。そして、この存在こそが神自身なのだ。あなたは自分が存在していると知っている。つまり、あなたが存在しているなら、あなたは神そのものだということだ。


あなた自身が神であるなら、神はあなたの最も身近なところに存在している。あなたは神が存在するとかしないとかの議論をするかもしれない。だが、現実としてあなたが存在するなら、その議論の結論にかかわらず、議論しているあなたが神なのだ。


あなたの問題とは、自分が神だと知らないことだ。自分が神だと知ることが悟りだ。あなたは瞑想によって、身体や思考、感情、記憶を超え、自分自身の根源である「存在」を認識することができる。この「存在」を認識し、さらにそれが自分自身そのものなのだと理解することで、あなたは神自身になる。


あなたが神になることで何かの恩恵はあるだろうか。あなたが神になることによる恩恵は何もない。その恩恵を求めているのは神を知らない個人としての存在だ。もし、神になることで超人的な能力や自分にとって都合のいい世界になることを求めるなら、それはまだ自分が神であることを理解していない。それは神を自分個人にとって都合のいい存在にしようとする誘惑に取り憑かれているのだけだ。


神になることで何の恩恵もないという当たり前のことを当たり前として受け入れることで、初めて自分が神だと理解することになる。それが本来の自然な人間の在り方なのだ。今までが少しずれていただけに過ぎない。あなたは自分は神ではないという誤解を解いて、ただ自分が神だと知ったのだ。


神は善悪や好き嫌いを超えている。すべての素材である神はそんな気持ちに影響されて変化することがない。あなたは変化しない神を核心として、変化する思考や身体をまとって生きている。絶対不動の神が中心にあることで、あなたは変化するものを変化するものとして受け入れているのだ。


世界において身体や思考が変化することで、あなたはそれに反応するだろう。それは良い反応も悪い反応もある。そんな良し悪しの中にも神は存在している。あなたはすべての物事には自分と同じ神が存在していることを知っている。


自分自身が神だと知れば、すべての変化が神だということを知る。あなたはそういった神の視点で人生を生きていくことになる。 

空風瞑想

空風瞑想は忘れてしまった本当の自分を取り戻す瞑想法です。瞑想の中で、今まで気が付かなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけます。それを自分の拠り所にすることで、人はその真実と共に蘇り、新しい自分として生きることを始めていきます。