18:手放すことについて


かつてスピリット・ウェイカーは私にこう語った。 


あなたは本当の自分を知りたいと思っている。そして、瞑想で心の中の核心を探っていく。あなたはそこで本当の自分を見つけるだろう。だが、それは本当の自分ではない。あなたが見つけたのは善や愛といった思考的なものだ。あなたはその善と愛を手にして、これでより良い自分になれると瞑想の結果に満足する。 


より良い自分とは今の自分の変化した姿だ。変化するものは、たとえそれがどんなに素晴らしいものであっても、いずれまた変化するということを避けられない。変化するものは本当の自分ではない。本当の自分は変化しない絶対的な存在だ。その変化しない自分を見つけるためには、変化する心の領域から超越する必要がある。


それは変化する自分への決別を意味する。だが、そこまで踏み切るには簡単ではない決断がいる。あなたにはまだ変化する領域で最良の自分を見つけたい気持ちがある。いままで通り、善とか愛のようなより良い自分を探していきたいのだ。


もし、心の領域から超越してしまえば、そういった最良の自分探しからも離れてしまう。そして、あなたは今までの自分探しによる成果をすべて手放すことになる。今までの延長上に本当の自分を求めたいあなたにとって、そうすることは辛いことだ。


本当の自分を知ることは、そんな犠牲を払ってまで手にするべきものなのかと、あなたは疑問に思う。あなたは自分が善や愛であることが好きだ。それこそが真理であり、そんな自分であるべきだという思いを拭いきれない。


本当の自分を知ることが悟りだ。それは思考的な自分と根源的な自分とを統合させることで起こる。悟りはとても自然なことであり、難しいことではない。だが、それを難しくしているのが、本当の自分を拒む思考的な自分の抵抗だ。


悟りは簡単なことだが、思考的な自分の抵抗によって足止めされる。もし、あなたが本当の自分を知りたいという思いを抱き続けるなら、自然と根源的な自分に迫っていくだろう。だが、あなたが根源的な自分に近づくと、思考的な自分が薄れていく。そうなると、あなたは違和感を感じて、そこから先に進むことを止めてしまう。


あなたは本当の自分を悟る手前で停止する。そして、その場所の経験を真実に置き換えようとする。それは善であり、愛であり、無我であり、静寂であるかもしれない。これらは思考的な自分にとって素晴らしい経験になる。あなたはそれらを記憶にとどめ、それを本当の自分ということにしてしまえばいいと考える。


だが、それがどんなに素晴らしい経験であっても、変化するなら本当の自分ではない。あなたは悟りに到達するために、そんな変化する自分を妥協なく捨てなければならない。善や愛さえも脇に除けて、その先に進む必要があるのだ。それは善や愛を否定しているのではない。それらは本当の自分ではないというだけだ。


すべての道は悟りに通じているが、あなたが自分自身を探求する限り、どこかでこの思考的な自分の抵抗があり、行き詰まる。それが起こるのは悟りの手前ギリギリのところだ。そこで潔く思考的な自分を捨てるなら、あなたはすんなりと本当の自分とひとつになる。


そうなったとき分かることは、世界のすべてが本当の自分で成り立っているということだ。世界は変化していく。だが、この本当の自分が変化することはない。あなたが本当の自分であるとき、自分の身体や思考を含めた世界がどれだけ変化してもそれは変わらず、同時に変化する世界そのものであり続けていることを知る。


このとき、あなたは思考的な領域から超越している。あなたは思考的な自分ではなくなったのだ。そうでありながら、あなたは思考的な自分の核心として存在している。矛盾しているようだが、あなたは変化するものに内在しながらも、それを包み込む変化しないものになったのだ。善や愛ではないが、それらに内在し、そしてそれらを包み込んでいる。この存在は誰にとっても同じだ。誰でも自分の思考の根源を探っていけば、思考を超越してその存在になる。


あなたは自分の抱えているたくさんの大切な経験をやっとの思いで手放し、そんな自分自身の核心を本当の自分として受け入れる。そのとき、あなたは何も失ってないことに気が付くだろう。 


空風瞑想

空風瞑想は忘れてしまった本当の自分を取り戻す瞑想法です。瞑想の中で、今まで気が付かなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけていきます。そこを自分の拠り所にするとき、新しい自分の人生が始まっていきます。