14:悟りに必要なことについて



かつてスピリット・ウェイカーは私にこう語った。 


あなたは自分自身を悟るために準備が必要だと思っている。自分の背負っているカルマを解放して、自分が汚れのない状態にならなければ悟ることはできないと思うのだ。そのために瞑想をして、心の中の重荷を解き放ち、よりクリアな状態になろうとする。  


だが、そうしていると、いつの間にかあなたの瞑想の目的が心の重荷を解き放つことに変わってしまう。心の重荷を解き放ったあと、あなたは心地いい幸福感に満たされる。あなたはその幸福感を手放したくなくなる。そして、あなたはその感覚に支配されていくのだ。


あなたは心地いい幸福感に魅了されて、そこから離れられなくなる。瞑想をすることでそうなるのであれば、心地よくなるために瞑想を続けようとするだろう。あるいは、もっと幸福感を満たす方法があるのであれば、それに取り組んでいこうとするかもしれない。


あなたの最初の目的は自分自身を悟ることだった。そうなることを目指して瞑想を始めたのだ。だが、あなたはその目的を忘れて、いかにして幸福感を得るかということに夢中になってしまう。


世界のあらゆる賢者たちが、自分とは誰かを見つけなさいと言っている。そのことを知っていても、あなたはその言葉を自分の幸福感を得ることに結びつけてしまう。そして、自分を悟るということは幸福な自分になることだと思い込むのだ。


それは人が求めることとして間違ってはいないため、そこから本来の目的である悟りへと戻ることが難しくなる。あなたは瞑想を通して幸福感を得ることが正しい道だと信じ込み、もっとそうなるようにより良い知識や方法を探求していく。


賢者たちの「自分自身を知りなさい」という言葉は唱えると幸せになる祈りの文言となり、その真意は影も形もなくなってしまう。そうして、あなたは賢者たちの言葉を唱えながら、自分の幸福のために人生を生きていくのだ。


あなたが幸福を感じることは間違ったことではない。ただ、それは本来の人生の目的ではない。もちろん瞑想の目的でもない。確かに瞑想は心の重荷を取り去ってくれる。神秘的な幸福を感じることもあるだろう。だが、それは自分自身を悟る過程に起こる現象に過ぎない。


あなたは悟るためにカルマを完全に取り去る必要はない。幸福に満たされている必要さえない。あなたが自分自身を悟るために必要なことはそれ程多くはない。もし、何かの重荷があなたの心を覆い尽くしているのなら、瞑想でそこに僅かな裂け目をつくれば、悟るには十分だ。


あなたが自分自身を悟るという道を忘れずに、そのために瞑想の時間を持つことが出来るのであれば、あなたは本当の自分自身を発見して、それとひとつになるだろう。そのとき、期せずしてあなたに完全な幸福が訪れる。その幸福は自分自身なので失われることがない。失われない幸福そのものである自分がそのまま人生を生きていくのだ。


あなたは悟った人として人生で何かをするだろう。悟った人が人生ですることは必ずしも崇高な行為とは限らない。もしかすると、人徳にあふれた品格も備えてないかもしれない。それでもその人がすることは完全だ。


なぜなら、その人自身が完全であり、行為によって満たされることを既に放棄しているからだ。悟った人は満たされるために行為をすることはない。すでに完全に満たされているから、これ以上満たされる必要はないのだ。その行為に自分を満たそうとする願望がないため、その人の行為は完全になる。


悟った人は完全な存在として自然な無邪気さとともに人生を生きている。悟った後にだけ、このことを直接知るだろう。悟る前に、このことを理解することはできない。 

空風瞑想

空風瞑想は忘れてしまった本当の自分を取り戻す瞑想法です。瞑想の中で、今まで気が付かなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけていきます。そこを自分の拠り所にするとき、新しい自分の人生が始まっていきます。