人類は進化しているのか:瞑想哲学

私たち人類には数万年の進化の歴史がありますが、いまもその進化は起こっているのでしょうか。もし進化が起こっていなければ、私たち人類は厳しい状況に置かれるかもしれません。私たちはまだ完全ではないので、進化しなければなりません。その進化の道は私たちの心の中にあります。私たちが心の中で本当の自分を見つけたとき、精神的に大きな進化を遂げます。そして、そこで人間として完成されます。

人類の歴史は二十万年ともいわれています。その間に体型や臓器の変化を経て現生人類の姿になっていきました。そして、いまから約二千五百年前、人類に精神文化が花開いた時期がありました。これは身体的な進化から精神的な進化が本格的に始まった歴史的な時期だと感じます。この時期にブッダやキリスト、ソクラテス、孔子や老子といった多くの賢人が現れ、人々を精神的に啓蒙しています。この精神文化は今の時代においても人々の精神的な支柱としてその役割を果たしています。


この二千五百年前の精神文化が開花した時期から、私たち人類は精神的に進化してきたのでしょうか。確かに私たちの生活の姿は一変したかもしれません。便利で豊かになり洗練されてきました。でも、心の中はほとんど代わり映えしません。数千年も前から人類は同じ失敗を繰り返し、同じことで悩んでいます。賢人たちはそのために精神的な啓蒙活動をしたのですが、ほとんどそれは機能してきませんでした。つまりそれは、二千五百年前から人類は精神的に進化していないのではないかということです。


私たちは生活の質が上がることで、進化してきたような気がしてきました。でも、実際には見た目ばかり先行して、精神的なところは置き去りにされてきました。むしろ私たちは生活が洗練されることが精神的な豊かさだとさえ思っています。もちろん、私たちは見た目だけでない精神的な進化を望んでないわけではありません。目には見えない自分の精神的なところも気にかけてはきました。それはいかにして心の状態をコントロールするかということです。心が幸せで、満たされていて、心地いい状態であることが、質の高い精神状態であり、そうなることが精神的な進化だと考えたのです。そして自分は幸せだと言い聞かせたり、満たされる経験を求めたり、怒りや嫉妬などのネガティブな感情を押し殺して、自分の心を心地いい状態に見せかけようとしてきました。それは一定の成果を上げますが、コントロール状態にある場合おいてはそうなるという条件が付きます。私たちがコントロールを忘れれば、元の状態に戻ってしまいます。たとえ一定の成果があるとはいえ、この状況は精神的な進化を遂げているとは言い難い状態です。どこか精神的な進化を間違えて理解している気がします。


では、人類の精神的な進化とはどこにあるのでしょうか。それは私たちの心の中にあります。私たちの心の中ではたくさんの言葉が飛び交い、いろいろな感情が渦巻いています。それらは多彩なイメージを創り出し、私たちはその想像の世界に支配されています。この支配は強力であり、私たちはそこから抜け出すことができません。いや、抜けだそうともしていないのかもしれません。それが自分自身だと信じていれば、それを変えようとも思わないでしょう。でも、そこにいてそれが自分だと信じている限り、私たちの精神的な進化はありません。まずは、そこを抜け出そうとすることが精神的な進化の始まりになります。


私たちは精神状態をコントロールすることで想像の世界から抜けだそうとしましたが、それは失敗に終わりました。そして途方に暮れています。私たちはコントロールの仕方が悪かったのだと思い直して、他のコントロール方法を探していきます。でも、コントロールすることはその状態を維持することが不可能なため、どんな方法も失敗します。唯一の成功する方法は自分自身を知るということです。自分自身とは心の中の中心にある存在のことです。そこだけはあらゆる言葉や感情、想像の世界から離れていて巻き込まれていません。そこはコントロールが必要のない場所です。私たちがこの心の中心に行くことができれば、渦巻いている心の中の出来事から自由になることができます。自分とはこの心の中心のことだと理解できれば、そこで私たちは精神的な進化を成し遂げることになり、いままでコントロール不能だった心の中の出来事から完全に解放されます。


本当にそんなことが可能なのでしょうか。それは可能だということを二千五百年前の賢人たちは言っています。あらゆる宗教と哲学思想の共通点は、自分とは誰かを知りなさいということです。このことは一貫していて、必ずどこかに書いてあります。ただ、私たちがそこを読み飛ばしていただけだったり、その意味を深く探らなかったために表面的な解釈で終わりにしてしまっていたのです。でも、自分を知るということはそれほど簡単なことではありません。私たちは心の中の出来事を自分だと思い込んでいるため、それをコントロールすることが正しい自分にする道だと信じています。それを覆すことは簡単ではありません。最初に、私たちはこのことから離れなければなりませんが、特別な理由がなければ、私たちはずっと信じてきたことを切り替えることに抵抗があります。


まず、私たちはコントロールしようとしてきた心の中の出来事は自分ではないと知らなければなりません。それらは客観的な出来事だと冷静に見る目が必要です。私たちはその出来事に巻き込まれすぎて、それが自分だと思い込み、客観的に見る目を失っています。私たちはこの目を取り戻す必要があります。この目を取り戻すことができたなら、それはすなわち本当の自分を見つけたということです。その自分はどこかに隠れていたわけではなく、いつでもそこにいました。いつでもそこにいたのに気がつかず、私たちは心の中の出来事を自分だと思って、そこで自分自身を作ろうとしてきたのです。


私たちがこの目を取り戻したとき、姿も心も人間として完全な最終形態になります。多くの人類がそうなるまでには、まだ数百年、数千年かかるかもしれません。それほど私たちの固定概念は強力です。たとえ自分自身の目を取り戻しても、また失うことだってあるでしょう。それを限られた年数の人生でこのことをやり遂げることは並大抵のことではありません。しかも、そんなことに血道を上げることに、他の人はいぶかしがります。なぜ本当の自分など見つける必要があるのかと、それよりも大切なことがあるだろうと誰かに説得される可能性もあります。とにかくかなりの障害があります。


どれだけの障害があったとしても、真実はひとつだけです。見上げればそこに空があるように、真実はいつでもそこにあります。いつまでも偽りの自分を拠り所にして生きてはいけません。いつか私たち人類はそのことに気がついていくでしょう。このことはすでに二千五百年前にブッダやキリスト、老子といった賢人たちによって実証されてきたのです。このことを理解できる人は、最初は少ないかもしれませんが、段々と増えていきます。そんな人々が増えてくれば、本当の自分として生きていくことが当たり前の世界になるでしょう。


そうなったとき、あのコントロール不能だった渦巻く心はどうなっているのでしょうか。私たちは心の中心の目になることで心の中のコントロールを放棄しました。それは混乱を極めているでしょうか。その結果は本当の自分に目覚めたときに分かればいいことです。そのときにはっきりと自分自身で知ることができます。もし、どうなるか前もって分かってしまえば、私たちはそうなるように心をコントロールしたくなるかもしれません。実際にそうなることが多く、そのことによって失敗が起こっています。少しだけ伝えるなら、心の中の言葉は消えないし、感情もあり、想像の世界もあります。でも、私たちはそれで何の問題もない状況にいます。


科学技術の進歩はとてもめざましく、複雑な動きの組み合わせで多種多様な新しいものを生み出していくでしょう。それはそれでいいことです。でも、それは種としての私たち人類の進化ではありません。それは技術や能力の向上に過ぎません。人類の精神的な進化は心の中でどんどんシンプルになっていって、何の動きもなく、何の変化もなく、何の知識もなく、そんな一点に収まっていくことです。そうすれば、私たちは私たちの周りで起こっている動きを受け入れることができます。それは自分をコントロールしているのではありません。心の動きに無関心とか世界を認めないということでもありません。私たちの身体や心はより良い世界を創ろうと努力するかもしれないし、善い心でいようと頑張るかもしれません。ただ、どんなときでも私たち自身は心の中心にいます。そこから離れることはありません。この中心にいるということがすべてです。心の中心にいる自分に気がついて、それを本当の自分とすること、これが人類の精神的に進化した姿なのです。

空風瞑想

空風瞑想は忘れてしまった本当の自分を取り戻す瞑想法です。瞑想の中で、今まで気が付かなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけます。それを自分の拠り所にすることで、人はその真実と共に蘇り、新しい自分として生きることを始めていきます。